「もっと気をつけろ」では防げない ミスをなくす唯一の科学的な方法

部下がまた同じミスをした。何度注意しても繰り返される。そのたびに「なぜもっと慎重にやらないのか」と感じ、本人も「次こそは気をつけます」と反省する――しかし翌週にはまた同じことが起きる。

あるいは、自分自身についてはどうでしょうか。重要な会議の資料を直前まで見直していたのに、当日になって誤りが発覚する。メールを送信した後で宛先のミスに気づく。「もっとしっかりしなければ」と思えば思うほど、消耗するばかりで根本的には何も変わらない……。

ジョゼフ・T・ハリナン著『しまった!「失敗の心理」を科学する』は、この問題の核心に迫ります。本書が最終的に導き出す最も重要な教訓は、「ミスの原因を個人の不注意や気合いの足りなさに求めてはいけない」というものです。人間は本質的に、バイアスに囚われ、記憶を歪め、間違える生き物です。だからこそ、個人の努力ではなく「ミスが起きにくい環境の設計」こそが、失敗を防ぐ唯一の科学的な道なのです。

Amazon.co.jp: しまった! 「失敗の心理」を科学する : ジョゼフ・T・ハリナン, 栗原 百代: 本
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薬瓶のデザインが乳児を死に至らしめた――環境の欠陥が招く悲劇

本書で取り上げられる最も衝撃的な事例の一つが、医療現場での投薬ミスです。ある病院で、幼児に対して血液抗凝固剤の標準濃度と高濃度のものが誤って投与され、命が失われるという悲劇が起きました。

このミスの根本原因は何だったのでしょうか。看護師の不注意でしょうか。疲労や集中力の欠如でしょうか。本書はそうではないと指摘します。二種類の薬剤を入れた小瓶のサイズとラベルのデザインが酷似していたこと――それが最大の原因だったのです。

極度の緊張状態と疲労の下で働く医療従事者が、見た目がほぼ同じ二本の瓶を手にしたとき、人間の認知バイアスはどちらかを間違えて選ぶリスクを大幅に高めます。これは環境側の欠陥です。どれほど優秀で真剣な看護師であっても、似たデザインの瓶が並んでいる状況が続く限り、同じミスは繰り返されます。

個人の努力では補えない欠陥が、環境の中にあったのです。

「気をつけろ」という指示がなぜ機能しないのか

管理職として部下にミスを指摘するとき、最もよく使われる言葉が「次はもっと気をつけてください」ではないでしょうか。しかし本書が示す通り、この指示には科学的な根拠がありません。

人間の認知は、「気をつけよう」という意思だけでは変えられない構造的な特性を持っています。視覚の盲点、記憶の再構築、パターン認識のバイアス――これらはどれも、意識的な努力によって完全にコントロールできるものではありません。「気をつければ防げる」と思っているミスの多くは、実は「その環境に置かれれば誰でも犯しうるミス」なのです。

それにもかかわらず、ミスが起きるたびに個人を責め、精神論的な改善を求め続けると何が起きるでしょうか。部下は委縮し、ミスを隠すようになり、チームの心理的な安全性が失われます。本当の原因が放置されるため、同じミスが繰り返されます。そして管理職自身も、なぜ改善されないのかという疲弊感を抱え続けることになります。

航空業界が半世紀かけて証明したこと

では、ミスを構造的に減らすとはどういうことでしょうか。本書が最も優れた手本として紹介するのが、航空業界の取り組みです。

航空機事故は、パイロットが操縦ミスを犯せば自分自身も命を失います。航空業界はこの現実と向き合うなかで、「人間は必ずミスをする」という前提を謙虚に受け入れ、徹底したシステム設計を積み重ねてきました。その代表が、チェックリストの義務化です。

離陸前・飛行中・着陸前と、パイロットは決められた項目を必ずリストに沿って確認します。どれほど熟練したパイロットであっても、記憶や直感に頼ることなく、物理的な手順を踏まなければ次のステップに進めない仕組みです。さらに、副操縦士が機長の判断に異を唱えられる「乗員資源管理」という考え方も導入しました。権威ある立場の人間でも間違えることを前提とし、組織全体でエラーを捕捉する文化を築いたのです。その結果、航空機事故の発生率は劇的に低下しました。

医療業界との対比が示す、組織文化の深刻な問題

本書は航空業界と対比する形で、医療業界のエラー対策が遅れている現実にも触れています。医師はミスを犯しても自分の命が危険にさらされるわけではなく、加えて「専門家は完璧であるべきだ」という文化的な圧力が根強いため、自らのエラー可能性を認めることへの心理的抵抗が強いのです。

この対比は、職場のマネジメントにも直接当てはまります。「ミスを認めることは恥だ」「できる人間はミスをしない」という暗黙の空気があるチームでは、問題が表面化しにくく、改善が遅れます。一方、「人間は必ずミスをする、だからこそ仕組みで防ぐ」という前提をチーム全体で共有できている組織は、ミスが起きたときも原因の追究と再発防止が迅速に進みます。

部下からの信頼を得たいと感じているなら、まず自分自身が「私もミスをする人間だ」という前提を持ち、それをチームに対してオープンにすることが出発点になります。完璧な上司を演じるよりも、ミスに向き合う誠実さのほうが、長期的な信頼の礎になるのです。

人間の行動パターンを味方につけるデザインの発想

本書がもう一つ示唆するのは、人間には無意識の行動パターンがあり、それを逆手に取った環境設計が有効だという点です。たとえば、建物の入り口では右に曲がりやすいという傾向が人間には備わっています。こうした特性を無視した設計は、意図せずミスを誘発します。

職場に置き換えると、ミスが多い業務フローは多くの場合、人間の自然な行動パターンに逆らった設計になっています。確認が必要なのに確認しやすい場所に情報がない、手順が複雑で記憶に頼らざるを得ない、判断の分岐が多くて疲弊した状態では間違えやすい――こうした問題は、個人の意識ではなく、フローやツールの設計を変えることで解決できます。

重要な確認作業をチェックリスト化する、間違えやすい操作には確認ダイアログを設ける、類似した書類や情報には色分けや形の違いで区別をつける――こうした小さな設計の工夫が、精神論では絶対に達成できない水準のミスの減少をもたらします。

「ミスゼロ」を目指すより「ミスが起きにくい場所」をつくる

本書から得られる最も根本的な視点の転換は、これです。ミスをなくそうとするのではなく、ミスが起きにくい環境をつくることに投資する――この発想の違いが、チームの質と自分自身の消耗度を大きく左右します。

部下が何度も同じミスを繰り返しているとき、「なぜこの人は改善しないのか」と問う前に、「なぜこの環境はミスを誘発し続けているのか」を問うてみてください。その視点の変化だけで、打ち手が根本から変わります。航空業界がチェックリストと仕組みによって事故を劇的に減らしたように、あなたのチームにも「ミスが起きにくい設計」を少しずつ積み上げることができます。

『しまった!「失敗の心理」を科学する』は、自分や部下への苛立ちを、より生産的なエネルギーへと変換するための一冊です。人間のミスは個人の失敗ではなく、脳の仕組みと環境の設計の問題である――この認識を持つことが、職場でもご家庭でも、より穏やかで成果の出るコミュニケーションの第一歩になるはずです。

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NR書評猫1229 ジョゼフ・T・ハリナン しまった! 「失敗の心理」を科学する

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