部下との関係がうまくいかない、会議でうまく話せない、家に帰っても気が抜けない……。そんな重なった息苦しさを抱えながら、今日も仕事をこなしていませんか。コロナ禍が明けたいま、以前と同じはずの日常のどこかに、あの頃の「閉塞感」の残滓がまだ貼りついているように感じることはないでしょうか。
第171回直木賞を受賞した一穂ミチの短篇集『ツミデミック』は、まさにその「閉塞感」の正体に迫った作品です。コロナ禍という未曾有の事態を単なる物語の舞台として消費するのではなく、その時代に生きた平凡な人々が経験した息苦しさを、極めて誠実な筆致で文学へと昇華させています。
本記事では、この受賞作の中でも特に「閉塞感の描写と日常の再定義」という視点から、あなたの日常をリセットするためのヒントを読み解きます。コロナ禍の記憶と、今あなたが感じている重さをつなぐ一冊として、ぜひ最後までお付き合いください。
コロナ禍は終わった、しかし「息苦しさ」は終わっていない
パンデミックが一段落し、マスクが外れ、街は元の活気を取り戻したように見えます。しかし、あの3年間が残した傷跡は、案外深く残っているものです。テレワークが増えたことで家庭内の摩擦が増えた方、チームの空気が変わってしまったと感じている方、そして部下との距離が縮まるどころか広がってしまったと悩んでいる方は、決して少なくないはずです。
著者の一穂ミチは、そのような現代人の実感に、文学の形で誠実に応答しています。本作は、コロナ禍という時代の閉塞感や息苦しさを、英雄的な物語としてではなく、飲食店を経営する普通の人やテレワーク中の家庭にいる普通の人といった、市井の人々のリアルな日常として描きます。登場人物たちは特殊な力を持っておらず、私たちと同じように、小さな判断ミスや感情の揺れを繰り返す平凡な存在です。
だからこそ、読んでいると痛いほどに共鳴する瞬間があります。直木賞の選考委員からも「今日のささやかな悩みを抽出し、現代社会の問題を文学的に解釈することに成功している」と評された本作は、あの時代の息苦しさを他人事として見るのではなく、読者自身の経験として引き受けさせる力を持っています。
「サスペンスの舞台」ではなく、時代への誠実な眼差しとして
コロナをテーマにした作品が急増した時期がありました。感染の恐怖、隔離された孤独、医療崩壊の危機……。そういった劇的な要素を前面に押し出し、読者を興奮させることを優先した作品も少なくありませんでした。
しかし、本作が他の多くの作品と一線を画すのは、著者がコロナ禍をサスペンスの消費材として使わないという姿勢を貫いた点にあります。
一切の過剰演出を排した、誠実な眼差し。
その高さは業界内でも衝撃をもって受け止められました。医療系専門メディアの書評者は「コロナ禍によって医業に、生活に多大な影響を受けたすべての人に読んでほしい」と推薦しながら、同時に「こんな高い技術を目指さねばならないのか、と途方に暮れた」と述べています。それだけ、本作の筆致は誠実かつ高度なのです。
著者の誠実さは、題材の選び方だけでなく、人物の描き方にも現れています。登場する人々は、経営難に頭を抱え、ソーシャルディスタンスで疎遠になった家族に戸惑い、そのような現実の中で小さな過ちを積み重ねていきます。壮大な事件が起きるわけではありません。しかしその分、日常の細部から立ち上がるリアリティは圧倒的で、読む者の胸に静かに刺さります。
ささやかな悩みこそが、人間の本質だった
管理職として日々の業務に追われていると、「もっと大事なことに集中すべきだ」という焦りを感じることがあります。部下との一言一言のすれ違い、会議でうまく通じなかった提案、妻との会話の噛み合わなさ……。そういった小さな悩みを、どこかで「些細なことだ」と片付けてしまっていませんか。
実は直木賞の選考委員は、本作の核心をある特別な視点から評しています。犯罪めいた非日常を通過した後であっても、「日常への回帰というパターン」が反復されるという点に、本作の本質的な主題があるというのです。パンデミックという世界規模の異常事態が起きてもなお、人々が最終的に向き合うのは、日々のささやかな人間関係の摩擦なのです。
これは、あなたの日常にも直接つながる視点ではないでしょうか。部下との信頼関係に悩む、家族とのコミュニケーションがうまくいかない。そのような日常的な問題を「些細なこと」として切り捨てるのではなく、そこにこそ人間の本質が宿っているという事実を、この作品は静かに、しかし確かに伝えています。
「日常への回帰」が、人間の最強の武器だった
著者は創作の姿勢について、幸不幸を繰り返しながらも人生は続いていくということをさまざまな形で書けたと思います、と述べています。この言葉は、一見シンプルですが、実はひどく深い洞察を含んでいます。
私たちは職場でミスをしたとき、あるいは大切な人との関係をこじらせたとき、まるで世界の終わりのような感覚に陥りがちです。しかし実際は、翌日も朝は来て、電車に乗り、仕事をしなければなりません。コロナ禍においても、それは変わりませんでした。誰かが仕事を失い、大切な人に会えなくなっても、人々はそれでも日常を再起動させてきたのです。
この「日常への回帰」という動きこそが、人間の最も強靭な力であると本作は教えてくれます。取り返しのつかない出来事があっても、人生は続いていく。ならばその続いていく日常をいかに誠実に生き直すかが、私たちに残された問いなのです。管理職として、夫として、父として、幸不幸を繰り返しながらも前に進む姿勢こそが、周囲の信頼を育てる土台になるという示唆が、この小説の行間には静かに宿っています。
直木賞が認めた「冷静な筆と、こくのある旨み」
技術的な観点から見ても、本作は一級品です。直木賞の選評では、文章は「よく研がれて余分がない」と評されています。視点人物の内面に踏み込みすぎず、かといって突き放しすぎない絶妙な加減が、読者を物語の中へ自然に引き込みます。
全体的に薄い味付けでありながら、作者特有の「こくのある旨み」が出ているという評も印象的です。これは、騒々しい装飾なしに、素材の力だけで読者を動かす文章の強さを指しています。短篇集であるため、一篇一篇がコンパクトにまとまっており、忙しい管理職の方が隙間時間に読み進めやすいという利点もあります。
読書に慣れていない方でも手に取りやすい入口の広さがある一方で、書き手を唸らせるほどの精密な技巧も同居している。この両立こそが、医療従事者から一般読者まで、多方面から絶賛の声が届いている理由のひとつでしょう。
閉塞感のあとに続く日常で、何を積み上げるか
あの息苦しい日々を経て、私たちは何かを失い、何かを変え、そして今ここにいます。職場では新しい関係性が求められ、家庭では課題が積み残されています。それでも日常は続き、明日の会議も、子どもの学校行事も、妻とのふとした会話も、変わらずやってきます。
一穂ミチの『ツミデミック』は、そのような私たちへの、静かで誠実なエールです。コロナ禍という誰も望まなかった時代を、英雄譚にもせず、被害者の告発にもせず、ただ人間の実存の記録として丁寧に書いた。その誠実さが、読み終えた後の深い余韻となって残ります。
幸不幸を繰り返しながら、日常を生き直す。それがどれほど当たり前で、かつ尊いことか。この一冊は、忙しく日常を駆け抜けるあなたに、立ち止まって考えるきっかけをそっと手渡してくれます。ぜひ手に取ってみてください。

コメント