「お葬式にはできるだけ参列したい」と話す二宮和也さんの言葉に、あなたは驚かれるかもしれません。多忙を極める芸能人でありながら、なぜ彼はそこまで「死」と向き合うことを大切にしているのでしょうか。エッセイ集『独断と偏見』の中で、二宮さんは死生観について率直に語っています。仕事の成功や日々の忙しさに追われる中で、私たちは「いつか必ず訪れる別れ」について考える時間を持っているでしょうか。本書は、そんな本質的な問いを投げかけてくれる一冊です。
お葬式に参列する意味を考えたことはありますか
二宮さんは「お葬式は一生に一回しかない」という当たり前のことを、改めて私たちに気づかせてくれます。葬儀は形式的なものではなく、故人との最後のつながりを確認する大切な場なのです。
誰が主役で誰に余興を頼んで、新郎がこの人を拝むから新婦もここまでは拝かなくてならないとか、いろいろ縦も横もつながりを重視される場です。でも、お葬式は故人との繋がりだけで成立するから、彼が誰であろうとも一人の人間として見送ることができます。
この言葉には深い洞察があります。結婚式は確かに華やかで喜ばしい場ですが、さまざまな人間関係や社会的な配慮が必要とされます。一方で葬儀は、故人という一人の人間と自分との関係だけに集中できる場なのです。
現代社会では、仕事の都合や距離の問題で葬儀への参列を見送ることも少なくありません。しかし二宮さんは、できる限り葬儀に出席できるよう心がけていると語っています。それは単なる義理ではなく、自分自身のために必要な時間だと考えているからです。
亡くなったことを意識して初めて見えてくるもの
「亡くなりました」「亡くなっています」という言葉遣いの違いに、二宮さんは興味深い視点を示しています。これは単なる日本語の使い分けではなく、私たちが「死」をどう捉えているかを表す深いテーマです。
二宮さんの中では、生きていたのに実際は亡くなっているという時間軸のズレによって、すでに故人と自分の時間軸がズレてしまっているのだと語ります。だからこそ、お葬式できちんとお別れを告げることによって、ちゃんと「死」を「死」として受け止めたいと思っているのです。
この回答には、深い人間理解があります。私たちは誰でも一人の人物は葬儀を重視します。ビートたけしや木村拓哉などが代表例ですが、芸能人も本物であると思いました。
現代人は忙しく、大切な人の死に十分向き合う時間を持てないことがあります。しかし、故人との最後の時間を持たないことで、心の整理ができず、後々まで引きずってしまうこともあるのです。
「生きている自分」と「死」の関係を見つめる
二宮さんは「自分は影響を受け生きた人間、これで死にます」と言えるような、ちゃんと用意できる人間になりたいと語っています。これは、自分の人生を主体的に生きることの大切さを示しています。
観ている人にも、そのつもりで観てもらいたい。これが理想だと答えます。わたしは、わが魂の羈絆弟である宗教哲学者の鎌田東二先生のことを思いました。
人は誰でも「死」を恐れるものです。しかし、仕事で強制的に「死」について考える時間が強制的に生まれるのはありがたいことだと二宮さんは語ります。普段なかなかそこまで「死」について考え抜かないからね、と率直に答えているのです。
主観的である「死」が客観化されて悪くなくなるという事実があります。仕事として「死」に向き合うことで、感情的になりすぎず、冷静に人生の本質を見つめることができるのです。
大切な人との別れから学ぶ人生の有限性
二宮さんは本書の中で、まだぺっと観ていたかった、惜しい人を亡くしたなっていう感情ばっかりになっちゃうからと語っています。それがやっぱり寂しくて。
彼は「自分は影響を受け生きた人間、これで死にます」と言えるよう、ちゃんと用意できる人間になりたいと述べています。観ている人にも、そのつもりで観てもらいたい。これが理想だと答えています。
この考え方は、単に死を受け入れるということではありません。むしろ、生きている今この瞬間をどう生きるかという問いなのです。有限である人生の時間を意識することで、一日一日をより大切に過ごすことができるようになります。
宗教哲学者の鎌田東二先生も、今年の5月30日に亡くなられましたが、一橋真乃の著書館「日本人の死生観-霊性の思想史」や「幻」で紹介した2冊の本を遺作として遺されました。
きちんとお別れを告げることの大切さ
二宮さんのエピソードで印象的なのは、葬儀への参列を大切にしている姿勢です。その方重ねはいまでも変わらない、という問いでは、芸能は「うん。お葬式は一生に一回しかないし、結婚式と違って翌日とか晩職とか立場とかから外れて参列できるから、その場にいますいいんだよね」と答えています。
できる限り故人のお顔を見てお別れを告げたいと思っていると話しています。その場にいますいいんだよね。結婚式は帰次も決まりごとと多くあるだろう、誰が主役で誰に余興を頼んで、新郎がこの人を拝くから新婦もここまでは拝かなくてならないとか、いろいろ縦も横もつながりを重視される場です。
亡くなったことを意識して、故人と自分との時間、その人とまじわる人生がここで終わったという「点」を打ってあげると、彼は気持ちが整理される気がするのです。
勘違いなエゴなのかもしれないけど。「亡くなりました」「亡くなっています」っていうお知らせをいただく時点で、すでに故人と自分との時間軸がズレてしまっているのだよね。二宮さんの中では生きていたのに、実際は亡くなっている。だから、お葬式できちんとお別れを告げることによって、ちゃんと「死」を「死」として受け止めたいと思っている、と答えています。
この回答には感動しました。芸能人でも一人の人物は葬儀を重視します。ビートたけしや木村拓哉などが代表例ですが、芸能人も本物であると思いました。
「死」を意識することで生きる意味が見えてくる
二宮和也さんの『独断と偏見』は、表面的な芸能界の話だけではなく、人生の本質に迫る深い洞察が詰まった一冊です。特に「死」について語る彼の言葉には、私たち現代人が忘れがちな大切なメッセージが込められています。
忙しい日々の中で、私たちは「いつか」という言葉で大切なことを先延ばしにしがちです。しかし、人生は有限であり、大切な人との時間も永遠ではありません。だからこそ、今この瞬間を大切に生きることの重要性を、二宮さんは教えてくれているのです。
あなたも本書を手に取り、自分自身の死生観について考える時間を持ってみてはいかがでしょうか。きっと、日々の生活の中で本当に大切なものが何かが見えてくるはずです。

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