「部下に対して、もっとオープンに話した方がいいのだろうか……」
管理職になったとき、こんな悩みを抱えたことはありませんか。
1on1面談で「最近どうですか?」と聞いても、部下はどこかよそよそしい。会議でも本音を話してくれない。「信頼関係を築くには透明性が大事だ」とビジネス書には書いてある。でも、何でもオープンに打ち明けれるよう自分が変わろうとしても、なんだかぎこちなくなるばかり……。
そんな悩みを抱えて手にした一冊が、嶋津輝の『カフェーの帰り道』でした。
2026年1月発表の第174回直木賞を、選考委員のほぼ満票という圧倒的な評価で受賞した話題作です。大正から昭和初期の東京・上野を舞台に、カフェーで働く女給たちの日常を描いた群像劇です。ビジネスとは一見まったく無関係な世界の話――のはずでした。
ところが本作には、現代の人間関係論を根底から揺さぶるような視点が、静かに、しかし確かに刻み込まれていたのです。それは「人と人の信頼は、必ずしも完全な真実の開示から生まれるわけではない」という、非常に示唆に富んだメッセージです。
この記事では、本作に登場する「嘘つき」な女給たちの人間関係を通じて、職場や家庭でのコミュニケーションのあり方を、一緒に考えてみたいと思います。
1. 「正直に言えば伝わる」という呪縛
管理職になってから、こんな経験をしたことはないでしょうか。
部下との関係を改善しようと、自分の失敗談や弱さを正直に話してみた。「実は私も昔、同じようなミスをしてね……」と。ところが、部下の反応は微妙で、なんとなく場の空気が重くなってしまった。あるいは、気を使わせてしまったように感じた。
「正直に話せば距離が縮まる」という思い込みは、根強く私たちの中にあります。しかし現実のコミュニケーションは、そう単純ではありません。
真実をすべて明かすことが、必ずしも信頼を生むわけではない。時に、適度な「余白」や「曖昧さ」こそが、人と人の間に心地よい距離感をつくり出す。本作の女給たちは、100年前の大正時代に、すでにそのことを体で知っていたのです。
2. 「嘘つき」な美登里が、なぜ皆から慕われるのか
本作の登場人物の中で、とりわけ印象的なのが女給の美登里です。
彼女には「嘘つき」という一面があります。面倒見がよく、誰からも深く慕われている美登里が、なぜ嘘をつくのか。著者はその理由を説明的に描写するわけではありません。ただ、彼女が嘘をついても皆が彼女を信頼し、愛し続けているという事実だけが、静かに描かれています。
そこへ現れるのが、年上の新米女給・園子です。園子はさらに一枚上手で、美登里すら驚かせる大胆な嘘をつく人物として描かれています。しかし面白いことに、園子の嘘もまた、他の女給たちを傷つけるのではなく、むしろ場の空気を変えたり、誰かを守ったりするために機能する。
つまり本作における「嘘」は、他者を陥れるための悪意ある虚偽ではないのです。それは、過酷な社会を生き抜くための処世術であり、日常に彩りを加えるささやかなフィクションであり、時に言葉にできない感情を伝えるための別の回路として機能しています。
「なぜこんなに皆から愛されるのだろう」と感じる人間は、往々にして言葉の表面だけでなく、その奥にある何かを敏感に感じ取る力を持っているものです。美登里はその典型と言えるかもしれません。
3. 「縛り付けない」ことが、最も深い信頼を生む
本作が描く女給たちの関係性の特徴は、互いに「詮索しない」「強要しない」という点です。
美登里が嘘をついても、誰も道徳的に糾弾しません。園子が大胆な虚言を発しても、排除されることはない。彼女たちは互いの過去を根掘り葉掘り聞き出したり、正直に話すよう強く迫ったりはしない。
相手をそのまま受け入れる緩やかな寛容さが、この空間の空気を形作っています。
これは現代の言葉で言えば、「心理的安全性」に近い概念です。ただ、ビジネス書が語る心理的安全性とは少し違う。「何でも言い合える場所」ではなく、「言わなくてもいい、ということが許される場所」。その違いは、とても大きいと思います。
人は「何でも話せる環境」より、「話さなくていい環境」の方が、逆説的に深いところまで本音を開示できることがあります。完全な透明性を求められる場より、適度な余白のある関係の方が、人は長く、深くつながり続けられる。本作の女給たちの関係は、まさにそのことを証明しています。
4. 「全部話せ」より「話さなくていい」が部下を動かす
では、この視点をビジネスの現場に引き寄せてみましょう。
管理職として部下と関係を築こうとするとき、「オープンなコミュニケーション」や「透明性」を意識しすぎると、かえって息苦しい職場をつくることがあります。
「今週の進捗を共有してください」「困っていることは何でも言ってください」――こうした言葉は善意から生まれますが、受け取る側には「すべてを見せなければならない」というプレッシャーになることも少なくありません。本当に困っていること、失敗したこと、不安なことほど、言いにくいのが人間というものです。
美登里や園子が示してくれているのは、別のアプローチです。相手のすべてを知ろうとしない。説明を求めすぎない。嘘の余地を残す――つまり、人間が人間らしくいられる余白を守るということです。
「なんか最近元気ないね」「大変そうだったけど、無理しなくていいよ」。そんな一言の方が、詳細な報告を求めるより、部下の心を開くことがあります。管理職に求められるのは、全てを把握しようとする姿勢ではなく、「話さなくていい」という安心感を場に生み出す力なのかもしれません。
5. 嘘と誠実さは、対立しない
ここで一つ、大切なことを確認しておきたいと思います。
「嘘を許容する」というのは、不誠実でいいということではありません。本作の美登里も園子も、根本のところでは他の女給たちを深く思いやっており、その気持ちは本物です。彼女たちの「嘘」は、誠実さを放棄したものではなく、誠実さを別の形で表現したものと言えます。
大切なのは、言葉の表面上の真偽よりも、相手を思う気持ちが本物かどうかです。
「部下の前では完璧な上司を演じなければ」という思い込みも、ある意味では「嘘」の一形態です。けれどそれは、部下を守るためのフィクションではなく、自分を守るためのフィクションです。本作の女給たちが示すのは、他者のために自分を少し曲げることのできる、しなやかな強さです。
そのしなやかさは、職場でも家庭でも、人間関係をより豊かにする力を持っていると思います。
「嘘」が許される場所に、人は集まってくる
『カフェーの帰り道』が静かに教えてくれるのは、完全な正直さが人間関係の唯一の正解ではない、ということです。
美登里の嘘を誰も責めず、園子の大胆な虚言に皆が驚きながらも受け入れる――そんなカフェー西行の空気が、さまざまな事情を抱えた女性たちをあの場所に引き寄せた。人は「全てをさらけ出さなくていい場所」に、自然と集まってくるものです。
部下が本音を話してくれないと悩んでいるあなたへ。もしかしたら、足りないのは透明性ではありません。
足りないのは、余白かもしれません。
嘘の余地を残すこと。詮索しないこと。そのままでいることを許すこと。100年前の上野のカフェーに集った女給たちが体現していた人間関係の知恵は、今日の職場にも、家庭にも、きっと活きてくるはずです。
ぜひ、手に取ってみてください。読み終えたとき、周りの人の「言葉の奥」が少し違って見えてくるかもしれません。

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