あなたは、「これは絶対に正しい」と確信した提案を、何度も却下された経験はありませんか。データを揃えて丁寧に説明した。資料も整えた。それでも「タイミングが悪い」「もう少し様子を見よう」という言葉に阻まれ、机の引き出しに眠ったまま終わった企画が、一つや二つはあるはずです。
そんなとき、あなたに足りなかったのは「意志」ではなかったかもしれません。本書『仕事の流儀 28人の達人たちに訊く』は、各界の頂点に立った28人の実業家、芸術家、科学者たちとの対話を通じて、仕事の壁を打ち破る本当の原動力とは何かを問い直します。そのキーワードが「意志ではなく、意地」です。
企業小説の名手である高任和夫氏が達人たちから引き出した言葉の中で、最も強く刺さるのがこのフレーズです。意志は理性が設計するものですが、意地は情念が生み出すもの。IT企業の中間管理職として、組織の論理と理想のはざまで格闘しているあなたに、この「意地」という武器の使い方をお伝えします。
「意志」と「意地」は、何がどう違うのか
まず、両者の違いを整理しておきましょう。
意志とは、目標を達成するための合理的な計画とその実行力のことです。ビジネス書でよく語られる「強い意志を持て」「ゴールを明確にせよ」という言葉が指しているのは、この意志です。冷静で、論理的で、数値目標との相性が良い。
一方、意地とは何か。それは「これだけは譲れない」という、ある種の不合理とも隣り合わせの確信です。なぜそこまでするのかを問われても、合理的な答えが出ない。それでも動かずにはいられない。そういう内側から湧き出るエネルギーのことです。
本書の達人たちに共通しているのは、壁にぶつかったときに意志ではなく意地で動いているという点です。意志は「勝算があるからやる」という判断ですが、意地は「勝算がなくてもやる」という情念。この差が、最終的に結果の大きさを分けるのだと、28人の達人たちは異口同音に教えてくれます。
小倉昌男が見せた、国家を相手にした意地
本書でこの「意地」を最も劇的に体現しているのが、ヤマト運輸を率いた小倉昌男のエピソードです。
小倉は、個人宅向けの宅配便という全く新しいビジネスを立ち上げようとしました。しかし、当時の運輸省は路線免許の認可を拒否し続けた。一私企業が国家の行政機構に立ち向かうなど、合理的な判断からすれば無謀そのものです。損失リスクは計り知れず、事業計画としての「意志」だけで突き進める話ではありませんでした。
それでも小倉は引かなかった。メディアを巻き込み、行政訴訟をも辞さない覚悟で戦い続けた。その根底にあったのは、官僚の都合で国民に必要なサービスが潰されることへの怒りと意地でした。
その結果が、今日の宅急便ネットワークです。合理性だけでは生まれなかった、意地が動かした歴史といえます。IT業界でも、新しいシステムや仕組みの導入が既存勢力に阻まれる場面は珍しくありません。そのとき、データで説き伏せる前に、小倉の姿勢を思い出してみてください。
提案が通らないときに問い直すべきこと
あなたが職場で提案を通せないとき、その理由を「説明の論理が弱かった」「データが足りなかった」と分析することが多いのではないでしょうか。
もちろん、論理とデータは大切です。ただ、本書を読んで気づくことがあります。達人たちの提案が通ったのは、論理が完璧だったからではなく、相手が「この人は本気だ」と感じたからだということです。
意地というのは、言葉にしなくても伝わるものです。資料の精度よりも、それだけの情念をこの人は持っているのかという空気感が、時として意思決定者の心を動かします。
本気度は、資料より先に伝わります。
プレゼンの準備と同時に、自分がその提案にどれだけ意地を持っているかを、あなた自身に問い直してみてください。意地のない提案は、どれだけ資料を整えても、どこかで薄さが伝わってしまうものです。
部下からの信頼は「意地の背中」から生まれる
昇進したばかりの中間管理職が最初にぶつかる壁の一つが、部下からの信頼です。「なぜ以前と同じように接しているはずなのに、距離を感じるようになったのか」という悩みは、多くのマネージャーが経験します。
本書の達人たちの言葉を借りれば、信頼は意志の演説では生まれません。チームを引っ張っていくという意志をいくら語っても、部下はそれを言葉として受け取るだけです。
一方、上司が「これは絶対に正しい」という意地を持って、リスクを背負いながらでも上の組織に掛け合う姿を見せたとき、部下は初めてついていこうと感じます。映画監督の新藤兼人が大手資本の圧力に屈せず、借金を抱えながらも独立制作を貫いたように、困難な局面での意地ある行動が、周囲の人間の心に刻まれるのです。
信頼を得たいなら意地を見せる場面を作ることが、一番の近道かもしれません。
非エンジニアの上司・経営層を動かす「情念の言語」
IT企業の中間管理職がしばしば直面するのが、技術の話をしても上には伝わらないという壁です。丁寧にシステムの仕組みを説明しても、経営層は目を細めるばかり。このすれ違いの構造は、多くのエンジニア出身マネージャーを悩ませてきました。
ここで役立つのが、本書の「意地」という発想です。非技術系の意思決定者を動かすのは、技術的な正確さではありません。なぜこれをやらなければならないのかという情念の強さです。
小倉昌男が運輸省を動かしたのは、図表入りの申請書類ではなく、この事業は社会に必要だという圧倒的な意地でした。あなたが経営会議でシステム投資の承認を得たいなら、技術の話の前に、このままでは何が失われるかという問いかけ、そしてこれを実現することへの本気度を先に伝えることが近道になります。
論理の前に意地の輪郭を見せる。
これが、非エンジニアを動かす言語です。
家庭でも機能する「意地の哲学」
仕事の話ばかりではありません。この「意地」という視点は家庭でも機能します。
在宅勤務が増え、家族と過ごす時間が増えたはずなのに、むしろ関係がぎこちなくなった。子どもとの接し方がわからない。妻との会話がかみ合わない。そういった悩みを抱えていませんか。
本書の達人たちが語る意地の本質は、この人間関係を大切にする、その意地があるという宣言に通じます。育児や家事に関わることを義務や合理的な分担として捉えるのではなく、この家族を守ることに意地を張るという視点に変えるだけで、行動の質が変わります。
子どもは親の意地を感じ取ります。言葉より行動に込められた情念の方が深く伝わるのは、職場だけではありません。
「意志」から「意地」へ――仕事師の流儀を今日から始める
本書『仕事の流儀 28人の達人たちに訊く』は、28人それぞれのエピソードを通じて、同じことを繰り返し教えてくれます。スマートな戦略や完璧な計画よりも、泥臭い意地の方が、最終的に大きな変化を生み出す、ということです。
あなたが今、提案を通せないことに悩んでいるなら、論理を磨くと同時に、自分の意地を育ててください。部下からの信頼を得たいなら、意志を語るより意地の背中を見せてください。そして、家庭でも、その意地を少しだけ使ってみてください。
高任和夫氏がこの対談集で浮き彫りにした達人たちの流儀は、2004年に出版された今も、AIと組織変革の激流の中にある現代のビジネスパーソンに、変わらず力強い示唆を与え続けています。ぜひ一度、手に取ってみてください。

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