「言っていることとやっていることが違う」——一穂ミチ『ツミデミック』が暴く自己欺瞞のサスペンス

部下がなぜか思ったように動かない、と感じることはありませんか?指示を出しているのに現場では全く違うことが起きている。会議で「わかりました」と言った相手が、翌日になると別の行動を取っている――そんな経験が積み重なると、「この人たちは本当に自分の言葉を理解しているのだろうか」と途方に暮れることもあるでしょう。

実はそこには、「人は自分に都合の良い現実を作り出して生きている」という、人間の本質的な仕組みが隠れています。第171回直木賞を受賞した一穂ミチの短篇集『ツミデミック』は、この自己欺瞞と現実の乖離を、コロナ禍という極限状態の中で鋭く切り取った作品です。

本書を読むことで、人が「言っていることとやっていること」を一致させられなくなるメカニズムが腹に落ちてきます。部下の行動の謎が解けるだけでなく、自分自身が無意識のうちに行っているかもしれない「都合の良い現実の書き換え」にも気づかされます。読み終えた後、あなたの人間観は確実に更新されるはずです。

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「言っていることとやっていることが違う人」を描く理由

著者の一穂ミチは、創作の嗜好についてこう語っています。視点人物が壊れていく物語や、言っていることとやっていることが違う人、人間の一筋縄ではいかないところが好きだ、と。

この言葉は、単なる趣味の告白ではありません。人間関係の核心を突いた深い洞察です。

私たちは日常的に、言っていることとやっていることが一致している人を信頼します。逆に言えば、その一致が崩れた瞬間、人間関係に亀裂が生まれます。管理職として部下と日々向き合うあなたも、このズレを何度も目撃してきたのではないでしょうか。

著者が興味深いのは、そのような人々を単純に「嘘つき」や「悪人」として描かないことです。彼らは善悪の境界線上にいる、ごく普通の人間として登場します。そして読者は、その普通の人間がじわじわと道を外れていく過程を、息をのみながら見守るほかありません。コロナ禍という誰も経験したことのない閉塞感が、平凡な人々の中に眠っていた何かを少しずつ引き出していきます。

視点人物の語りは、本当に信頼できるのか

小説における視点人物とは、物語を語る案内役のことです。通常、読者はこの人物の目を通して世界を理解します。ところが『ツミデミック』では、その前提が根底から覆されます。

著者は「小説の中に秘密や嘘を入れるのも、視点人物から見た状況と現実が違うという構造に惹かれるから」と述べています。つまり語り手自身が、信頼できない証人として機能しているのです。

語り手が信頼できない――この構造が、読者に独特の緊張感をもたらします。

これは職場での一場面を思い浮かべると、理解しやすくなります。たとえば、あるプロジェクトが失敗した後の報告書を思い出してみてください。書いた本人は「自分は最善を尽くした」という視点で書き、読む側は「なぜこんな結果になったのか」と別の現実を感じる。この食い違いが、まさに視点人物の認識と客観的現実のズレです。

本書の登場人物たちは、この食い違いをはるかに深いところまで抱えています。自分の行動を正当化するための内面の語りが積み重なり、読者は「この人の見えている世界は、本当の世界なのか」と問い続けながらページをめくることになります。この構造が生み出す緊張感こそ、本書の最大の推進力です。

自己欺瞞はこうして完成する

では、人はなぜ自己欺瞞に陥るのでしょうか。本書を読むと、そのメカニズムが鮮明に見えてきます。

きっかけは多くの場合、小さなことです。コロナ禍という特殊な状況の中で経済的な苦境に追い込まれた登場人物たちは、最初のうちは「しかたがない」という言い訳を積み重ねます。そして気づいたときには、その言い訳が当人の中で正当な理由へと変換されているのです。

この過程を著者は冷徹に、しかし圧倒的な没入感をもって描きます。読者は気づけば、自分とは全く異なる倫理観を持つ他者の内側に引き込まれています。「この人はなぜこんなことをするのか」と眉をひそめていたはずが、いつの間にかその人物の論理の中に入り込み、その行動を理解できてしまう自分を発見して愕然とするのです。

崩壊は突然起きません。少しずつ、じわじわと、正当化の層が積み上がっていく。そしてある日、取り返しのつかない場所に立っている自分に気づく。著者の言う「視点人物が壊れていく物語」の恐ろしさは、まさにここにあります。

「取り返しのつかないこと」の後に日常は続く

著者はこう語っています。取り返しのつかないことにドキドキする。幸不幸を繰り返しながらも人生は続いていくということを、いろんな形で書けたと思う、と。

これは重要な指摘です。私たちはしばしば、取り返しのつかない失敗や過ちを犯した瞬間、すべてが終わったと感じます。しかし現実は、そうではありません。翌日も朝は来ます。仕事は続きます。部下へのフィードバックも、家族との夕食も、すべてが変わらず続いていく。

本書の登場人物たちは、大きな罪や喪失を経験した後も、この残酷なほど凡庸な日常の反復の中で生き続けます。著者はここで、感動的な再生や贖罪の物語を用意しません。ただ、それでも人は生きていくという事実を、乾いたまなざしで描きます。

管理職としてチームを率いるあなたにも、きっと覚えがあるはずです。大きなプロジェクトの失敗、信頼していた部下との関係の崩壊――そうした出来事の翌日も、会社の朝礼は始まり、メールの返信を求められ、日常が待っている。本書はその現実を、文学という形で極限まで研ぎ澄ませています。

「余分のない文章」が生み出す圧倒的な没入感

直木賞の選考では、本書の文章が「よく研がれて余分がない」と評されました。また「薄い味付けでありながら、作者特有のこくのある旨みが出ている」とも語られています。

この余分のなさこそが、没入感の源泉です。登場人物の内面に踏み込みすぎず、しかし核心には正確に触れる。その距離感が、読者に想像の余白を与えます。作者がここはこう感じていたと全部説明してしまうと、読者は受動的な受け手になります。しかし本書では、その余白に読者自身の経験や感情が流れ込み、物語が読者の中で独自に増幅されます。

これはビジネスコミュニケーションにも通じる話です。伝えすぎる説明は相手の想像力を奪います。適切な余白を残した伝え方は、相手の主体的な関与を引き出します。著者の文章技術は、コミュニケーションの本質的な問いをも投げかけているのです。

人間の「業」を知ることが、信頼の土台になる

本書を読むことで得られる最も大きな収穫は、「人間というものはこういう生き物だ」という腹に落ちた理解かもしれません。

管理職として部下と向き合うとき、なぜあの人はああするのか、という疑問は尽きません。真面目に見えた人が突然問題を起こす。ルールを守るよう伝えているのに、現場では守られていない。こうした現実に直面したとき、人間不信に陥るのか、それとも人間への理解を深めるのかで、その後のマネジメントの質は大きく変わります。

一穂ミチが本書で描くのは、悪い人間ではなく追い詰められた普通の人間です。コロナ禍という極限の環境が、平凡な人々の中に眠っていた自己欺瞞と業を引き出していく。この視点を持つことは、部下の行動を理解可能なものとして受け取る力につながります。

理解することは、許容することとは違います。しかし、なぜそうなるのかを知っていれば、適切なタイミングで、適切な距離で関与することができます。それが本当の意味での、信頼される上司への一歩なのかもしれません。一穂ミチ『ツミデミック』は、人間の暗部を真正面から描きながら、読む者の内側に確かな何かを残す一冊です。ビジネス書とは異なる角度から人間関係の本質を問い直したいあなたに、ぜひ手に取ってみてください。

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