仕事に疲れ果てた平日の夜、あなたは何に支えられて生きていますか?家族、趣味、将来への希望…それとも、特定の誰かやコンテンツへの深い愛情でしょうか。
もし後者に心当たりがあるなら、宇佐見りんの芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』は、あなたの心の奥底にある真実を鮮やかに描き出した作品かもしれません。この小説は、単なる「アイドルファンの物語」ではありません。現代社会を生き抜くための、切実で必死なサバイバル・ストーリーなのです。
1. 「推し」は趣味ではない──存在を支える「背骨」という概念
多くの人が誤解していることがあります。主人公あかりにとって、推しである上野真幸への献身は、決して余暇の楽しみや単なる趣味ではありません。
「推しは私の背骨だ」──この作品の核心を貫く比喩が、すべてを物語っています。
あかりは日常生活の基本的な動作すら困難に感じる女子高生です。学校生活、アルバイト、家族との関係、すべてが重荷として彼女の肩にのしかかります。そんな彼女が世界の中で崩れ落ちずに立っていられるのは、推しという外部支援構造があるからなのです。
この「背骨」としての機能は、彼女の生活の細部にまで浸透しています。スケジュールの組み方、稼いだお金の使い道、そして精神的なエネルギーの注ぎ先──これらすべてが、推しを「解釈する」という行為に集約されているのです。
2. 現実逃避ではなく現実適応──発達障害を抱えた主人公の生存戦略
物語は、あかりが何らかの発達障害を抱えていることを強く示唆しています。アルバイト先で複数の業務を同時にこなせないこと、慢性的な忘れ物、幼少期からの学習困難──これらの描写が、彼女の抱える生きづらさの根源を明らかにします。
しかし重要なのは、彼女の「推し活」が単なる現実逃避ではないということです。むしろそれは、敵対的な現実を生き抜くための巧みな適応戦略として機能しているのです。
あかりにとって「現実」は苦痛の源です。複雑な人間関係、予測不可能な社会的要求、感情的なスキルを必要とする相互作用──これらすべてが彼女を圧迫します。一方で、推しとの関係は一方通行であり、拒絶されることも、不十分だと判断されることもありません。
3. アルバイト収入を全投入する理由──自己構築のための必死な労働
多くの人が疑問に思うでしょう。なぜあかりは、維持することすら困難なアルバイトで得た収入のすべてを、グッズやライブチケットに注ぎ込むのか、と。
答えは明確です。これは余暇活動ではなく、自己を構築するための労働だからです。
あかりは推しのあらゆる言動を分析し、ブログにまとめるという作業に膨大な時間を費やします。ここに彼女は、他のどこにも見出すことができない生の目的と達成感を見出しているのです。この解釈という営みこそが、彼女にとっての存在証明なのです。
彼女の行動を「無駄遣い」や「依存」として片付けるのは簡単です。しかし、社会に適応できない自分を支える唯一の構造を維持するために、必死に働き、稼いだお金を投資する──これは極めて合理的な判断と言えるのではないでしょうか。
4. 距離があるからこそ安全──一方通行の関係性が持つ力
作品が深く掘り下げるもう一つの逆説があります。あかりは友人のなるみとは対照的に、推しとの物理的な接触や個人的な認知を求めません。彼女は群衆の中の匿名のファンであり続けたいと願うのです。
この「一定の隔たり」こそが、彼女に安らぎを与えています。現実の相互的な人間関係は、彼女が決定的に欠いている社会的・感情的スキルを要求するからです。
これは現代社会への鋭い問いかけでもあります。一般的に、このようなパラソーシャル関係は現実の人間関係の不健全な代替物と見做されがちです。しかし本作は、ある種の個人にとって、それが「現実」よりも機能的で健全な関係でありうることを示唆しているのです。
5. 推しが引退した時に起こること──構造を失った人間の絶望
物語のクライマックスで、推しである真幸が引退することになります。この時、あかりは単に好きな歌手を失うのではありません。自らの人生を支えていた構造そのものを失うのです。
彼女が最後に綿棒を拾う象徴的な行為は、打ち砕かれた信仰の瓦礫を拾い集め、初めて自らの手で──いかに脆いものであろうとも──自己を構築し始めていることを表しています。それは自らの宗教を失い、その後に訪れる恐ろしくも空虚な自由に立ち向かう物語なのです。
この作品が現代人に問いかけるもの
『推し、燃ゆ』は、私たちが持つ「健全な関係」や「まともな生き方」の定義そのものを再考させる作品です。
40代のあなたが仕事に疲れ、家族との関係に悩み、将来への不安を抱えている時、何があなたを支えているでしょうか。それは社会的に認められた「正しい」ものでしょうか。それとも、あかりの推し活のように、周囲からは理解されにくいけれど、あなたにとっては不可欠な何かでしょうか。
この小説は、生きづらさを抱えた人間が編み出す独自の適応戦略に、文学的な重みと尊厳を与えた作品として評価されています。それは21世紀における新しい形の信仰であり、現代社会を生き抜くためのサバイバル・マニュアルでもあるのです。

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