人はなぜ「なりたくなかった人間」になるのか――真梨幸子『殺人鬼フジコの衝動』が暴く虐待の連鎖と環境の呪縛

あなたは、部下や家族の「なぜこの人はこうなってしまったのだろう」という振る舞いを前に、首をひねったことはありませんか。優秀なはずなのに自信がない、気を遣いすぎて逆に空回りする、なぜか必ず同じ失敗を繰り返す……。そうした「人間のなぜ」を掘り下げたいと思ったとき、一冊の小説がことのほか鋭い答えを突きつけてきます。真梨幸子による『殺人鬼フジコの衝動』です。

本作はイヤミス(読後に嫌な気分になるミステリー)の金字塔として名高い作品ですが、その核心にあるのは単なる猟奇描写ではありません。人間は生まれた環境から逃れられるのか、そして憎んでいた相手にそっくりなってしまうのはなぜなのか。この問いに、本作は正面から、そして冷酷なまでに迫っています。

環境の呪縛から逃れられるか。 この問いが、本書の最大のテーマです。人の動機や行動原理を理解したいと思うすべての人に、ぜひ一度手に取ってほしい一冊です。

Amazon.co.jp: 殺人鬼フジコの衝動 (徳間文庫) 電子書籍: 真梨幸子: Kindleストア
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「最低な母親」にはなるまいと誓いながら

主人公・森沢藤子、通称フジコは、幼少期から壮絶な環境に置かれてきました。見栄っ張りで散財を繰り返す母親は、子どもの給食費すら払わないネグレクトの加害者でした。学校では同級生からいじめを受け、11歳のときには家族全員を失う一家惨殺事件に巻き込まれ、瀕死の重傷を負いながら一人だけ生き残ります。

フジコが叔母に引き取られた直後の描写は、読者の胸を打ちます。彼女はその時点では、いたいけな少女として描かれており、読む者の同情を誘います。そして、彼女の内心には強い誓いがありました。

絶対に母親のようにはならない。 それがフジコという人間を支える、唯一の軸だったのです。

ところが物語は、その誓いが徐々に崩れていく様子を、淡々と、しかし容赦なく描き出します。成長したフジコは、見栄と金に異常な執着を見せるようになります。ついには「息を吸うかのように」他者を殺害し、死体を解体することを繰り返す連続殺人鬼へと変貌していく……。逃れようとしていたはずの母親と、彼女はどこまでも似た軌跡をたどっていくのです。

「蛙の子は蛙」という冷酷な問い

本作が突きつけるのは、「虐待の連鎖」という現象の残酷さです。親から虐待を受けた子が、やがて自分の子に同じことをしてしまう。このパターンは犯罪心理学や臨床心理学の世界でも繰り返し指摘されています。

なぜそうなるのでしょうか。フジコの場合、いくつかの心理的メカニズムが重なっています。まず、劣悪な環境で育った彼女には「確固たる自分」がありませんでした。常に他人の目を気にし、周囲から嫌われないよう、偽りの自分を演じ続けることが唯一の処世術でした。その結果として道徳的な感覚が育たず、罪悪感を感じない人格が形成されていきます。

また、極端に低い自己肯定感が見栄への異常な執着を生みます。ここが、まさに母親を忌避しながらも母親に近づいていくアイロニーです。貧しく、取り柄がないと感じるからこそ、外見を整形で塗り替え、金にしがみつき、邪魔者を平然と排除する。

逃げようとするほど、深みにはまっていく。 これが本作の描く、血と環境の呪縛です。

環境はどこまで人を決めるのか

「環境決定論」という考え方があります。人間の性格や行動は、生まれてからの環境によって決まるという考え方です。反対に「意志の力で人は変われる」という立場もあります。本作はそのどちらが正しいかを論じるのではなく、「変わろうとしてもなぜ変われないのか」という問いを、フジコという極端な例を通じて可視化します。

管理職として部下と接していると、「なぜ何度指摘しても同じミスをするのか」「なぜあの人は自信を持てないのか」という疑問に直面することがあるでしょう。その背景に、育ちや環境が深く関わっている場合は少なくありません。本作が描く「変わりたくても変われない人間」の苦しみは、フィクションの怪物の話ではなく、あなたの身の回りにいるごく普通の人たちの、見えにくい苦しみにも通じています。

もちろん、環境は言い訳にならないし、殺人はどんな理由があっても許されません。しかし、「なぜそうなったのか」を知ることは、人を理解するための出発点になります。

モキュメンタリー形式が生む「リアリティの恐怖」

本作が読者に強烈な印象を与える理由のひとつは、ルポルタージュ形式(モキュメンタリー)という語り口にあります。フジコの生涯を追う記録小説として書かれているため、読み進めるうちに「これはフィクションではないのではないか」という錯覚に陥る読者が後を絶ちません。

実際、北九州で起きた監禁殺人事件や尼崎の児童虐待事件など、現実の凶悪事件を想起させる描写が続きます。「閉じた関係の中で、外部の目が入らないまま倫理観が崩壊していく」という構造は、現実の事件と恐ろしいほど重なります。本作が単なるエンターテインメントにとどまらず、社会への問いかけとして読まれるのは、このリアリティゆえです。

さらに読者を驚かせるのが、物語の終盤に置かれた「フジコの娘によるあとがき」です。それまで信じて読み進めてきた事実関係が根底から覆される仕掛けは、ミステリーとしての知的な興奮をもたらすと同時に、「自分はいったい何を見せられていたのか」という深い問いを残します。再読必至と言われる所以です。

嫌悪感とページをめくる手が同時に走る体験

「イヤミス」という言葉がありますが、本作はその代表作として紹介されることが多い作品です。読後に嫌な気分になる……それでもページをめくる手が止まらない。この矛盾したふたつの感覚が同時に走るのが、本書の特徴です。

フジコの凶行は、読者に強い生理的な嫌悪感と恐怖をもたらします。しかし同時に、劣悪な環境で育った彼女の背景を知るにつれ、純粋な断罪だけでは割り切れない複雑な感情が生まれます。同情と嫌悪の狭間で揺れ動く、この葛藤こそが読書体験としての本書の核心です。

底知れない悲哀と、目を背けたくなる恐怖が共存する。 そのアンビバレントな感覚を、ぜひ自分自身で確かめてみてください。人間というものの複雑さ、そして環境と意志のはざまにある問いと、静かに向き合う時間を与えてくれる一冊です。

人間を深く知りたい人へ

本作は、ミステリー小説としての面白さはもちろんのこと、「なぜ人はそうなるのか」という問いに向き合うすべての人に読んでほしい一冊です。管理職として部下の言動の背景を理解したい方、家族や身近な人間関係に悩んでいる方、あるいは「自分はなぜこうなのか」という問いを持つすべての方に。

真梨幸子の他の作品、特に『5人のジュンコ』とあわせて読むと、著者が「個人の病理」と「社会・集団の暴力」というふたつの方向から、人間の狂気の根源を描き続けていることがわかります。本作でそのエッセンスに触れれば、きっと著者の描く世界の奥深さに引き込まれるはずです。

読み終えたとき、あなたはきっと問わずにはいられないでしょう。「もし自分が同じ環境に生まれていたら、どうなっていたか」と。

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NR書評猫1167 真梨幸子 殺人鬼フジコの衝動

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