毎朝の通勤電車、週末の家族とのお出かけ、出張での移動。当たり前のように繰り返すこれらの「移動」が、実は社会の格差を映し出す鏡だとしたら、あなたはどう感じるでしょうか。社会学者の伊藤将人氏による『移動と階級』は、私たちが日常的に経験する移動を通じて、現代日本に潜む深刻な格差と不平等の実態を鮮やかに浮き彫りにします。本書が提示する「移動格差」という新しい視点は、仕事や家庭での選択肢を考え直すきっかけを与えてくれます。
移動は当たり前ではなく「格差」である
伊藤氏は本書の冒頭で衝撃的な問いを投げかけます。移動は本当に誰にとっても平等なのか、と。
私たちは無意識のうちに「移動は自由であり、個人の選択の問題だ」と考えています。好きな場所へ行く、転職のために引っ越す、家族旅行に出かける。これらはすべて本人の意思と努力で決まると思いがちです。しかし伊藤氏の調査が明らかにしたのは、全く異なる現実でした。
全国調査によると、国民の約半数が「自由に移動できない」と感じています。5人に1人は移動の自由さに満足しておらず、3人に1人が他人の移動を「羨ましい」と思っているのです。これは単なる気持ちの問題ではありません。移動をめぐる機会や結果には、収入、性別、居住地域によって歴然とした格差が存在するのです。
著者は「移動は当たり前ではなく格差である」と明言します。経済力や家庭状況、地理的条件といった要因が、私たちの移動可能性を大きく左右している。この視点こそが、本書の最も重要なメッセージです。
あなたの通勤時間が教えてくれること
IT企業で中間管理職として働くあなたは、毎日片道1時間の通勤をしているかもしれません。その通勤時間を「無駄な時間」と感じることもあるでしょう。
しかし本書は、この通勤という移動そのものが、社会階層と密接に結びついていることを明らかにします。都心に住めるかどうか、リモートワークを選択できるかどうか、出張の頻度をコントロールできるかどうか。これらはすべて、あなたの収入や職位、そして勤務先の方針によって決まります。
移動は生活・仕事・学び・余暇すべてに関わる基盤です。にもかかわらず、その機会には個人差があります。高収入の人ほど自由に移動でき、移動に伴う負担も軽減される仕組みがある一方で、低収入の人は移動の選択肢が限られ、移動そのものが大きな負担となります。
興味深いのは、伊藤氏が「移動できる人」と「移動できない人」の二極化を指摘している点です。移動できる人ほど格が高い勝ち組で、移動できない人は格が低い負け組だという価値観が、無意識のうちに私たちの社会に根付いているというのです。
移動を構造的な不平等として見る
本書の革新的な点は、移動を個人の自由や選択の問題ではなく、構造的な制約と不平等の問題として捉え直したことにあります。
例えば、転勤を受け入れられるかどうかは、単に本人のやる気の問題ではありません。配偶者の仕事、子どもの教育、親の介護、住宅ローンなど、さまざまな制約が絡み合っています。地方から東京への進学も、家庭の経済力によって可能かどうかが決まります。
移動可能性は、収入や資産といった社会階層、ジェンダー、大都市部とそれ以外の地域間格差という軸によって大きく偏在しています。これは著者が「移動階級社会」と呼ぶ現代日本の姿です。
管理職として部下を持つあなたなら、転勤や出張の命令を出す場面があるでしょう。そのとき、移動を受け入れられる人とそうでない人がいること、その背景に構造的な制約があることを理解することで、より公正なマネジメントができるようになります。
ジェンダー不平等という見えない壁
本書が取り上げる重要なテーマの一つが、移動をめぐるジェンダー不平等です。
育児や介護といったケア労働は、依然として女性に偏っています。そのため、女性は男性に比べて長距離の通勤や頻繁な出張、転勤を受け入れにくい状況にあります。このことが、昇進や賃金の面で女性が不利になる要因の一つとなっているのです。
あなたの職場にも、優秀なのに出張の多い部署への異動を断った女性社員がいるかもしれません。それは本人の意欲の問題ではなく、家庭内の役割分担という構造的な問題なのです。
伊藤氏は、移動は誰のものかという問いを投げかけます。移動の自由が特定の性別や階層に偏っている限り、真の男女平等も社会的公正も実現しません。この視点は、ダイバーシティ推進を考える上でも極めて重要です。
地方と都市部の移動格差
もう一つ見逃せないのが、居住地域による移動格差です。
都市部では公共交通機関が発達しており、車を持たなくても自由に移動できます。一方、地方では公共交通が衰退し、移動には自家用車が不可欠となっています。高齢者や免許を持たない人にとって、これは深刻な問題です。
新幹線や空港が整備されていない地域では、都市間移動にかかる時間と費用が大きくなります。研究によると、こうした交通インフラの格差が、地域間の経済格差をさらに拡大させているのです。
移動の機会を制度的に保障する公共交通の再構築が必要だと伊藤氏は主張します。移動の自由は、単なる個人の問題ではなく、社会全体で保障すべき権利なのです。
移動格差が生み出す社会的排除
本書が明らかにするのは、移動格差が単なる不便さの問題にとどまらず、社会的排除と階層化を生み出しているという事実です。
移動できないことで、就職や進学の機会が制限されます。医療や福祉サービスへのアクセスが困難になります。余暇活動や文化的体験が限られてしまいます。つまり、移動格差は人生の選択肢そのものを狭めているのです。
あなたが東京で働けているのは、大学進学のために上京できたからかもしれません。その機会を得られなかった人たちが、地元に留まらざるを得ず、限られた選択肢の中で生きている現実があります。
伊藤氏は、移動格差とは人々の移動をめぐる機会や結果の格差と不平等、それが原因で生じるさまざまな社会的排除と階層化を意味すると定義します。この視点は、格差問題を考える新しい切り口を提供してくれます。
移動から見える社会の本質
『移動と階級』が提示する「移動」という視点は、私たちが見落としていた社会の本質を浮かび上がらせます。
移動は、単なる物理的な場所の変化ではありません。それは機会へのアクセスであり、選択の自由であり、人生の可能性そのものです。誰もが自由に移動できる社会は、誰もが公平な機会を得られる社会でもあります。
本書を読むことで、日常的な通勤や出張、家族との旅行といった何気ない移動が、実は社会構造と深く結びついていることに気づかされます。そして、自分が享受している移動の自由が、決して当たり前ではないことを理解できます。
管理職として、家庭人として、社会の一員として。移動格差という新しいレンズを通して社会を見ることで、より公正で持続可能な社会づくりに貢献できるはずです。伊藤将人氏の『移動と階級』は、そのための必読書と言えるでしょう。

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