親や家族が認知症と診断されたとき、あなたはどう感じますか。これからどうなってしまうのか、どう接すればいいのか、不安や戸惑いでいっぱいになるかもしれません。認知症は現在のところ完全に治療する術がない病気です。しかし、筧裕介さんの『認知症世界の歩き方』は「治せない病」との向き合い方に、まったく新しい視点をもたらしてくれます。本書は、認知症を「恐れるべき病」ではなく「共に生きる方法をデザインする課題」として捉え直すのです。今回は本書が示す「デザインの発想」に焦点を当て、その魅力をお伝えします。
病気を治すのではなく暮らしをデザインする
認知症と聞くと、多くの人が「記憶がなくなる」「人格が変わる」「何もできなくなる」といったネガティブなイメージを抱きがちです。医療の世界でも、長らく「症状をいかに抑えるか」という視点が中心でした。
しかし、筧さんは違う角度から問いかけます。認知症は完全に治せない病気かもしれません。それでも「環境や接し方次第で、本人も周りももっと楽になれる」のです。つまり、病気そのものを治す発想ではなく、暮らしの工夫で認知症と付き合う発想です。
筧さん自身「認知症の課題解決はデザイナーの仕事だ」と述べています。デザインとは、単に見た目を美しくすることではありません。人々の生活をより良くするための問題解決の手法なのです。
環境を整えるだけで問題行動は減らせる
本書では、認知症の人が直面する困りごとに対して、具体的な環境デザインの工夫が紹介されています。
何度も同じ質問をしてしまう人には、メモや写真で記録を残す環境を用意する。家の中で迷子になってしまう人には、部屋ごとに色やマークで分かりやすく工夫する。こうした生活環境のちょっとした改良で、問題行動を減らせるケースがあります。
たとえば、食パンを買いに行ったのに、何度買ったか忘れてしまって同じものをたくさん買ってしまう。戸棚の中身が見えなくなって、食パンが見つからなくなってしまう。こんな日常のちょっとした失敗も、背景にある理由が分かれば対処の仕方は変わります。
買い物リストをつくる、ストックは必ず見える場所に置く、そもそも戸棚の数を外す。こうしたやりとりの中で、本人も周りの方も楽になる場面が増えていきます。
関わり方をデザインすることの大切さ
環境だけでなく、人との関わり方もデザインできます。本書が提案する対話のデザインには、次のようなものがあります。
会話がかみ合わなくても否定せず優しく受け止める。認知症の人は記憶が曖昧になっても、感情は鋭敏に残っています。否定されたり、叱られたりすることで深く傷つくのです。だからこそ、たとえ話が食い違っていても、まずは受け止める姿勢が大切です。
できることに注目して役割を持ってもらう。認知症になると、できないことばかりに目が向きがちです。しかし、できることは必ずあります。洗濯物をたたむ、テーブルを拭く、植物に水をやる。小さなことでも役割を持つことで、本人の尊厳が守られ、生活に張りが生まれます。
こうした工夫によって、今までどおりの生活を続けることができ、本人の尊厳を守り、認知機能の低下を防ぐことにもつながります。
診断名にとらわれず人間として向き合う
本書が提示するもっとも重要なメッセージは、診断名にとらわれず人間として向き合い生活を再設計することができるという点です。
認知症という診断を受けると、その人は「認知症の人」というレッテルで見られがちです。しかし、認知症になっても、その人はその人のままです。長年培ってきた価値観、好きなこと、嫌いなこと、個性。そうしたものは失われません。
大切なのは、病気を診るのではなく人を見ることです。一人ひとりの個性や生活背景を理解し、その人らしい暮らしを一緒にデザインしていく。そんな姿勢が、認知症ケアの本質なのです。
筧さんの提案は、医療・介護の専門家だけでなく、家族や地域の人々にも実践可能です。特別な知識や技術がなくても、ちょっとした工夫と思いやりで、認知症の人の暮らしは大きく変わります。
超高齢社会を生きる私たちへの希望
本書は、認知症という個別の課題を超えて、超高齢社会を生きる私たちに希望の種を届けてくれます。
2025年には65歳以上の約5人に1人が認知症になると推計されています。もはや認知症は、誰にとっても他人事ではありません。家族が、あるいは自分自身が認知症になる可能性があります。
そのとき、認知症を「終わりの始まり」と捉えるのか、「新しい生き方のデザイン」と捉えるのか。その違いは、本人にとっても周囲にとっても、大きな意味を持ちます。
本書が示す「共に生きる」という視点は、認知症に限らず、高齢者ケア全般、さらには多様な人々が共生する社会のあり方そのものに通じる普遍的なメッセージです。
弱さや困難を抱えた人を排除するのではなく、ともに生きる方法を考え、実践する。そんな社会こそが、すべての人にとって生きやすい社会なのではないでしょうか。
今日からできる小さな一歩
『認知症世界の歩き方』は、単なる知識の本ではありません。読んだその日から実践できる具体的なヒントに満ちています。
家族に認知症の人がいる方は、本書を読むことで「こうすればよかったのか」という気づきを得られるでしょう。まだ身近に認知症の人がいない方も、いずれ来るかもしれない未来への準備として、本書から多くを学べます。
そして何より、本書は認知症の人の視点に立つことの大切さを教えてくれます。相手の立場に立って考える、共感する。それは、認知症ケアだけでなく、職場でのコミュニケーション、家族との関係、あらゆる人間関係に通じる普遍的なスキルです。

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