あなたは、こんな経験をしたことがありませんか。
何週間も、あるいは何ヶ月もかけて準備してきたプロジェクトが、当日になって突然、想定外の事態に見舞われる。資料が消えた、担当者が体調を崩した、会場が使えなくなった……。そのとき、頭の中が真っ白になり、「もうダメだ」と思ってしまう、あの感覚です。
じつは、その「もうダメだ」という瞬間こそが本当の失敗なのだと、一人の映画監督が教えてくれています。映画『ある閉ざされた雪の山荘で』や『笑う招き猫』を手がけた飯塚健監督の著書、『晴れのシーンを撮る日に、雨が降ったら?』を読んで、わたしはそのことを改めて思い知らされました。
計画通りにいかないのは、映画の現場だけではありません。この本には、どんな仕事にも、どんな人生の局面にも使える「思考停止しないための技術」が、41のヒントという形で詰まっています。今回はそのなかから、最も核心に触れるポイントを深く掘り下げてご紹介します。
1. すべての計画が崩れた日――撮影現場の「想定外」とは何か
映画の撮影現場は、極めて高度な計画の塊です。何ヶ月も前からロケ地を選び、天気予報をにらみながらスケジュールを組み、スタッフとキャストを集める。そこまで準備しても、当日に大雨が降ることはある。それも、まさに「晴れのシーン」を撮るはずの日に。
飯塚監督はそうした事態を、映画業界での22年以上のキャリアの中で数え切れないほど経験してきました。天候だけではありません。小道具が届かない、ロケ地の許可が直前に取り消される、出資者から「脚本を根本から書き直してほしい」と言われる……。映画の現場とは、計画と偶発性が常に激しくぶつかり合う場所なのです。
多くの人は、こうした事態を「トラブル」と呼びます。しかし飯塚監督は、その呼び方自体がすでに間違いだと言います。起きた出来事そのものは、良くも悪くもない。問題は、そこで人間が何をするかです。
2. 「失敗」の本当の意味――監督が定義し直した言葉
「真の失敗とは、予定外の出来事が起きた瞬間に、思考を止めてしまうことによってのみ起きる。」
本書の中で飯塚監督はそう断言しています。晴れのシーンを撮るはずの日に雨が降った。それ自体は失敗ではない。そこで頭が真っ白になり、次の一手を考えられなくなること――それが失敗の正体だというわけです。
考えてみれば、当たり前のことのように聞こえます。でも、実際に想定外の事態に直面したとき、冷静でいられる人はどれほどいるでしょうか。
大半の人は、まず「なぜこうなったのか」という原因探しを始めるか、「なんでこんな日に雨が降るんだ」と状況への不満をぶつけることに時間とエネルギーを使ってしまいます。あるいは、ただ茫然と立ち尽くしてしまう。そのあいだ、問題は何も解決しないまま時間だけが過ぎていく。
飯塚監督は、それを「最も避けるべき行為」と呼んでいます。起きてしまったことへの怒りや嘆きに精神的エネルギーを使い続けることは、プロフェッショナルとしての判断ではありません。その代わりに問うべきは、「では今、自分には何ができるか」という一点だけです。
3. 雨は「障害」か、それとも「材料」か――視点の切り替えという技術
ここからが、この本の最も刺激的な部分です。
晴れのシーンを撮る予定だった日に雨が降った。そのとき、できるプロフェッショナルは何を考えるか。「この雨を、登場人物の深い悲哀を表現するための材料として使えないか」と考えるのです。
雨という気象条件は、じつはドラマの情感を増幅させる強力な演出ツールです。当初の計画にはなかった。でも、目の前にある現実をそのまま受け取り、それを表現の一部として取り込んでしまう。これが視点の切り替えという技術です。
これは楽観論でも、開き直りでもありません。発生した事象そのものに対する、認知のパラダイムシフトです。「障害だ」という解釈を選ぶのか、「材料だ」という解釈を選ぶのか。どちらの解釈も、事実の変形ではなく、受け取り方の選択です。
そしてこの選択は、訓練によって意図的にできるようになる――飯塚監督はそう言っています。
4. 山田孝之が証明した「環境と一体化する力」
本書の中でわたしが最も印象に残ったエピソードは、俳優・山田孝之氏についての観察です。
山田氏は、撮影現場がどれほど劣悪な条件であっても、それに不満を漏らすことがないと飯塚監督は言います。泥濘んだ足元、雨に濡れた衣服、予定外の段取りの変更……。そうした状況のすべてを、演じる役柄の生々しい感情として瞬時に取り込んでしまう。
不快な衣服の重さが、役の「疲弊感」になる。足元の不安定さが、役の「焦り」になる。台本に書かれていた以上の、リアルな表現が生まれる。
これは天才の直感ではありません。演じる役の背景や物語の核を深く理解しているからこそ、どんな変化が起きても軸がぶれずに対応できるのです。準備の深さが、即興の質を決めるということです。
仕事の場面に置き換えれば、自社のミッションや顧客の本質的なニーズを普段から深く理解しているビジネスパーソンは、突発的なトラブルや市場の急変にも、即座に適切な判断を下せる。山田氏の姿は、その原理を体現しています。
5. 「コントロールできないもの」に使うエネルギーを、今すぐやめる
本書の哲学の根幹にあるのは、古代ギリシャのストア派哲学にも通じるシンプルな問いです。「それは、自分の力でコントロールできるものか、できないものか。」
天候の悪化は変えられない。他者の理不尽な要求も、市場の急変も、自分の力ではどうにもならない。そうした「変えられないもの」に対して怒りや悲しみのエネルギーを使い続けることは、何の解決にもつながりません。
一方で、変えられるものは確実に存在します。事象に対する自分の受け止め方、次の一手としての行動の選択、そして代替案の提案です。本当のプロは、ここにだけエネルギーを集中させます。
飯塚監督は具体的なシチュエーションとして、「偉い人と意見が食い違ったとき」や「ロケ地が急遽使えなくなったとき」を挙げています。そのどちらでも、相手や環境を責めることに時間を使わず、「今の自分にできる代替の提案は何か」という問いへとすぐに思考を切り替える。これが、組織やチームの中で真の信頼を勝ち得る人物の共通点だと分析しています。
6. 計画が崩れた瞬間こそが、本当のスタートライン
最後に、飯塚監督が本書を通じて最も伝えたいメッセージを引き受けてまとめます。
すべてが計画通りに進む状況では、個人の真価は問われません。マニュアル通りに動けば誰でも同じ結果が出る。でも計画が崩れ、マニュアルが通用しなくなったその瞬間に、はじめて人間の本当の能力が試されます。
そこで凡庸な妥協に甘んじるか、持てる知恵のすべてを絞り出して新たな価値を創造するか。飯塚監督は、トラブルを「創造性が発露する機会」として肯定的に捉え直すことこそが、プロフェッショナルの真髄だと結論づけています。
思考を止めなければ、失敗は起きない。
これは、映画の現場だけの話ではありません。あなたの仕事で、あなたの人生で、想定外の雨が降った日――その瞬間の思考の動かし方を、この本は根本から変えてくれます。
飯塚健監督の『晴れのシーンを撮る日に、雨が降ったら?』は、単なる映画制作の裏話にとどまらない、現代を生きるすべての人に向けた実践的な哲学書です。41のヒントはどれも、仕事にも人生にも直接使えるものばかり。ぜひ手に取って、自分の「思考停止しない力」を鍛えるきっかけにしてみてください。

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