「何度説明しても部下に伝わらない」「妻との会話がいつもすれ違う」「プレゼンで思いが届かない」――こんな悩みを抱えていませんか?多くの人は、伝わらない原因を「説明の仕方が悪い」「相手の理解力が足りない」と考えがちです。しかし、認知科学者・今井むつみ氏の『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』は、そうした表面的な理解を根底から覆します。本書が示す第3のポイント「相手の立場に立って話を聞くこと」は、単なる思いやりの話ではありません。それは、コミュニケーションの本質を理解し、職場でも家庭でも良好な関係を築くための科学的アプローチなのです。
「相手の立場に立つ」とは何か?思いやりだけでは足りない理由
私たちはよく「相手の立場に立って考えよう」と言います。しかし、今井氏はこう指摘します。単なる思いやりや優しさだけでは、本当の意味で相手の立場に立つことはできないと。
なぜなら、人は誰もが異なる「スキーマ」という認知の枠組みを持っているからです。スキーマとは、過去の経験や知識、価値観などから形成される思考の枠組みのこと。同じ言葉を聞いても、人によって全く異なる解釈をしてしまうのは、このスキーマの違いが原因なのです。
例えば、上司が部下に仕事を指示する場面を考えてみましょう。上司からすれば当然重要なものと考えているため、さほど重要性を持って取り組まなかった部下の態度に失望するかもしれません。しかし部下には、それがなぜ会社にとって重要なのかが分からない。失敗をした場合の例を引き合いに出して部下に説明したところ、そこから部下は目の色を変えて取り組んだという事例があります。
どこまでを暗黙の了解として繰り引きするのかが難しいところですが、まずは、その繰り引きをせずに丁寧に理由も説明していくことが良いコミュニケーションなのかもしれません。実践できるかなあ……。そもそも、わかりあえないという立場で考えるのであればこういう手間は惜しまないということですよね。
コミュニケーションのスタートは「話を聞く」こと
今井氏が強調するのは、大切なのは「話を聞くまえ」と意識して、一生懸命相手の話を聞くことだということです。そして、言語は意図のすべてをそのまま表現できるわけではなく、常に受け手によって解釈され、解釈されて初めて意味あることとして伝わるという性質上、自分の意図を100パーセント正確に伝えること、あるいはわかりあうことなど不可能に近いことが分かります。
この認識は、一見ネガティブに聞こえるかもしれません。しかし実は、これこそがコミュニケーション改善の出発点なのです。「話せばわかる」という幻想から解放されることで、私たちは初めて本当に相手の話を聞く姿勢を持つことができます。
人間は、自分の目的や思い込みに沿った情報を圧縮する傾向があります。一方、話者から、具体的なイメージを膨らませることで、相手の持つ情報への配慮のほうを優先してしまったという例もあります。そこに問題があるのです。
上司と部下の間で起こる「伝わらない」の典型例
職場での典型的な「伝わらない」場面を見てみましょう。上司が部下に仕事を指示し、部下がその指示について、さほど重要性を持って取り組まなかったとします。
上司からすれば当然重要なものと考えているため、部下の態度に失望します。しかし、部下にはそれがなぜ会社にとって重要なのか分からなかったのです。
そこで上司がそれがなぜ会社にとって重要なのかを、失敗をした場合の例を引き合いに出して部下に説明したところ、そこから部下は目の色を変えて取り組んだという例があります。
この事例が示すのは、説明の「内容」よりも「相手のスキーマに合わせた伝え方」が重要だということです。部下は「会社にとって重要」という抽象的な説明では動きませんでしたが、「失敗した場合の具体例」という形で自分事として理解できたとき、初めて行動が変わったのです。
「なんでできないんですか?」ではなく「相手の立場で現状を見る」
多くの管理職が陥りがちな失敗があります。それは、「なぜこんな簡単なことができないのか」と考えてしまうことです。しかし、これは完全に自分のスキーマで物事を見ている状態です。
今井氏は、相手の立場に立つということは、相手の知識レベル、経験、置かれている状況を具体的に想像することだと説明します。これは単なる「思いやり」を超えた、高度な認知的スキルなのです。
報告する側も、早く話を切り上げたくなって当然です。双方の感情が徐々に影響して、本来は共有しておいた方が良い情報まで伝わらなくなる。そうするとポジティブサイクルが回り始めます。
逆に言えば、「なんでそんなことも分からないんだ」という態度は、ネガティブサイクルを生み出します。部下の間に話が広まるようになり、そうするとポジティブサイクルが回り始めるのです。
家庭でも職場でも使える「聞く技術」
相手の立場に立って話を聞く技術は、職場だけでなく家庭でも非常に有効です。妻との会話がかみ合わない、子どもとの接し方が難しいと感じている方にこそ、この視点が必要です。
具体的には以下のような姿勢が重要になります。
- 自分の解釈が正しいと信じ込まず、常に確認する
- 相手の話を途中で遮らず、最後まで聞く
- 「なぜそう考えるのか」の背景を理解しようとする
- 相手が使う言葉の意味を、相手のスキーマで理解する努力をする
これらは一見当たり前のように聞こえますが、実際に実践できている人は多くありません。なぜなら、私たちは無意識のうちに自分のスキーマを通して世界を見てしまうからです。
「わかりあえない」を前提にした新しいコミュニケーション
本書が最も革新的なのは、「わかりあえないことを認め合う」ことから始めようという提案です。これは決して諦めではありません。むしろ、不可能な完全理解を目指すのではなく、「どうすればより良く伝わるか」という現実的なアプローチへの転換なのです。
「話せばわかる」という幻想を捨てることで、私たちは初めて本当の意味で相手の立場に立つことができます。相手の立場に立つということは、ビジネスのあらゆる場面で必要とされています。
そして、そのためには「メタ認知」と「心の理論」という2つの能力が重要になります。メタ認知とは、自分自身の思考プロセスやスキーマを客観的に認識する能力のこと。心の理論とは、相手の心の状態や意図を推測する能力のことです。
これらの能力を働かせることで、すれ違いの発生確率を下げ、たとえ発生したとしても早期に修正することが可能になります。
相手の立場に立つことがビジネス成功の鍵
「相手の立場に立つ」という能力は、単なる人間関係のスキルではありません。それはビジネスの成功に直結する重要な能力なのです。
部下とのコミュニケーションがうまくいけば、チームの生産性は向上します。顧客の立場に立って考えることができれば、より良い提案ができます。経営陣との対話において相手のスキーマを理解できれば、自分の企画が通りやすくなります。
今井むつみ氏の『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』は、コミュニケーションの本質を科学的に解き明かし、実践的な解決策を提示してくれる貴重な一冊です。「話せばわかる」という幻想から脱却し、本当の意味で相手の立場に立つコミュニケーションを実践したい方に、ぜひ手に取っていただきたい本です。
この本を読むことで、あなたの職場でのコミュニケーション、家庭での会話、すべてが変わり始めるかもしれません。

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