「あなたは何人ですか」と聞かれたら、どう答えますか。簡単そうで、実は難しい問いです。日本人の父母を持つ私たちでさえ、自分が完全に日本社会に属していると感じられないとき、ふとこの問いに立ち止まります。ましてや、複数の文化や人種のはざまに生きる人にとって、この問いはさらに複雑です。ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、イギリスで暮らす混血の少年の日常を通して、複数のアイデンティティを持つことの難しさと豊かさを、あたたかく、時にユーモアを交えて描いています。
イエローでありホワイトである自分の居場所
本書のタイトルにもなっている「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という言葉は、息子さんがノートの片隅に書き留めた言葉です。
アジア系の母と白人のアイルランド人の父を持つ息子さんは、学校でアジア人として差別を受けることもあれば、逆に白人として見られることもあります。どちらか一方ではなく、どちらでもある自分は、いったいどこに属するのか。12歳の少年が抱えるこの問いは、単なる人種の問題ではなく、自分自身のアイデンティティをどう確立するかという、誰もが直面する普遍的なテーマなのです。
みかこさんは、息子さんが混血であることによって自分のアイデンティティについて悩んでいる様子を目の当たりにします。学校では、イギリスではアジア人差別の言葉を浴びせられたり、逆に日本では外人であるために疎外感を感じたりするシーンがありました。このように、自分がどの国に所属しているのかについて悩む描写があったのです。
複数のアイデンティティは弱さではなく強さ
一見すると、複数のアイデンティティを持つことは葛藤の種のように思えます。しかし本書を読み進めると、それは決して弱さではなく、むしろ強さであることに気づかされます。
息子さんとパンクな母ちゃんは、ともに考え、ともに悩み、毎日を乗り越えていきます。そして重要なのは、息子さんが自分の複数のアイデンティティから目を背けずに向き合っていることです。彼は学校で起こる差別や偏見に直面したとき、どちらか一方のアイデンティティに逃げ込むのではなく、両方を自分の一部として受け入れようとします。
ブレイディみかこさんは、この本の中で子供の物語として一方的に引くのではなく、一緒に考えたり時には意見を持って対立したりしています。そこで著者の考えが変化していったり、分からないことや知らないことがあると気づく描写もあります。このような親子の対話を通じて、読者も多様性やインクルージョン、共感について改めて考えさせられることこのうえないのです。
日本人に欠けていたミクロな視点
ある書評では、本書のヒットの背景を日本人に欠けていたミクロな視点を提供したからではないかと分析しています。
日本では貧富の差といえば、政府が生活保護をするとか不正受給者を減らすとか教育の機会の差が原因だとか、一人ひとりの生活の現状ではなく問題全体として捉えられることが多いのです。これがマクロ寄りの視点です。
一方で本書は、制服が擦り切れそうな友人にどうしたら傷つけずに中古の制服を渡せるのかという、具体的で個人的な悩みを描きます。大きな社会問題をミクロな視点で見ることで、問題が自分ごととして感じられるようになるのです。実際、貧しい友人に制服を渡すエピソードでも、息子さんは相手の気持ちを思いやることで最善の行動を模索しました。
多様性の時代を生きるための共感力
本書で繰り返し登場するテーマの一つが共感力です。みかこさんは、単に相手の立場に立つだけでなく、自分の考えが変化していくことも含めて共感だと教えてくれます。
息子さんが通うのは人種も階級も異なる子供たちが集う元底辺校です。そこでの日常は世界の縮図と言われ、人種・貧富・宗教・文化などの違いが如実に現れます。例えば、クラスには移民であることを卑下されて荒れている友人もいれば、逆に親からホワイト(白人)が世界で一番優秀と吹き込まれ差別発言を繰り返す子もいます。
このような多様な背景を持つ生徒たちがぶつかり合う毎日は、いろいろあって当たり前であり皆が大切な友達だと語られます。まさに英国社会のリアルを切り取った学園生活であり、読者はこの一校の物語からグローバル社会全体の課題を垣間見ることができるのです。
差別に優劣はないという気づき
本書には、差別や偏見による衝突とそれへの向き合い方を示す印象的なエピソードが多数登場します。
ある日、貧しい地区に住む東欧出身の友人Aが、同級生Bから貧乏人と罵られました。彼は東欧から来た移民でした。Bからいつもそのことを馬鹿にされていたAは、その仕返しに移民だったBに人種差別用語を使い罵ります。それがきっかけで二人は取っ組み合いの喧嘩になりました。
しかし仲裁に入った教師は、人種差別用語を使った生徒Aにより重い罰を与えました。最初にAに暴言を吐いたのはBだったにも関わらずです。
法律上、人種差別発言のほうが重大とみなされたためですが、息子さんは納得がいかず、貧乏差別も人種差別もどちらも差別だと母親に不満をぶつけます。この問いかけに対し、みかこさんは自身の子供時代に起きた似たような喧嘩の話を語ります。
クラスメート同士で片方が相手の家の貧しさをバカにし、もう片方が相手の住む地区への差別語で応酬した際、若い女性教師はどちらの差別がより重いかではなく、どちらも人を傷つけたとして喧嘩両成敗にしたというのです。
みかこさんは、当時その教師が示した公平な判断に感銘を受け、それを息子さんに伝えます。息子さんもこの話を聞いてハッとし、人を傷つける差別には大小優劣ではなくどちらも悪いという視点の大切さに気づくのです。
自分探しの旅は終わらない
一方向では、息子さんは自分が混血であることによって自分のアイデンティティについて悩んでいる様子が描かれます。更に言えば、息子さんはイギリスではアジア人差別の言葉を浴びせられたり、逆に日本では外人であるために疎外感を感じたりするシーンがありました。
彼は国語の授業でブルーとは悲しい気持ちを現す言葉だと教わるのです。それまではブルーは怒りを現すと勘違いしていたと母に語るわけですが、その直後、母は息子さんの部屋の掃除をしていて、机の上にあったノートの片隅にぼくはイエローでホワイトでちょっとブルーと書いてあるのを見つけます。
アジア系(黄色人種)でありヨーロッパ系(白人)でもある自分が、どちらにも完全には属さないことへのもどかしさと哀しみを、12歳の息子さんは思わず書き留めたのです。この一節は、読者の心を深く打ちます。
多様性とは何かを問い続ける
本書は2019年に刊行されるや40万部を超えるベストセラーとなり、本屋大賞ノンフィクション大賞など数々の賞を受賞しました。重い社会問題を扱いながらも平易で読みやすく、読後に多様性やインクルージョン、共感について深く考えさせられる作品だと評価されています。
扱っている内容は社会科の教科書のようだが、非常に読みやすく、内容がすっと頭に入ってくるのも本書のよいところです。グローバルな世の中を生き抜く現代人はぜひ一度読んでみてほしい1冊となっています。
読後には自分だったらどう対処するだろうかと深く考えさせられると評されています。人種差別的な発言を繰り返す友人とどう付き合っていくのか、今にも擦り切れそうな制服を着ている友人にどうしたら傷つけずに中古の制服を渡せるのか。様々な出来事や難題を素直に受け止め、悩みながらも自分なりに考えて行動していく姿に感嘆するとともに、自分だったらどうするだろうかと、とても考えさせられたのです。
多様性とは何か、共感力とは何か、アイデンティティとは何か、本書はこれらの問いに対して簡単な答えを示すのではなく、読者自身が考え続けるきっかけを与えてくれます。複数のアイデンティティを持つことの難しさと豊かさを知ることで、私たちは自分自身をより深く理解し、他者への理解も深めることができるのです。

コメント