「正しい言葉」より「伝わる言葉」──前田安正『解きながら身につける大人の文章力』が教える、相手を動かす表現の本質

「あの言い方、ちょっとまずかったかな……」。言ってから、送信してから気づく後悔の記憶は、誰にでも一枚や二枚はあるはずです。文法的には正しい。意味も通じている。なのになぜか相手がムッとする、あるいは関係がぎこちなくなる。その正体が何なのかを、朝日新聞社で長年にわたって言葉と格闘してきた前田安正さんが、本書の中で丁寧に解き明かしてくれています。

『解きながら身につける大人の文章力』が問いかけるのは、「文章が正しいかどうか」ではありません。「その言葉が相手にどう届くか」という問いです。 ここに、本書が単なる文章技術書を超えた、もう一段深い本である理由があります。

解きながら身につける大人の文章力
社会生活を円滑に営むための文章のコツを、「依頼する」「謝罪する」などの場面ごとに楽しみながら解いて身につけていくワークブック。敬語表現・主語と述語の関係・話し言葉と書き言葉・適切な慣用表現・まちがえやすい表現など、確かめておきたい文章のコツ...

「正しい文章」と「大人らしい表現」はまったく別物

「ちょっとお願いがあるんだけど、明日中にあの資料まとめといて」。これは文法的には正しい文です。意味も伝わります。でも、受け取った相手の気持ちはどうでしょうか?

管理職として部下に何かを依頼するとき、あるいは同僚や取引先とやり取りするとき、「正しい文章」は最低条件であり、それだけでは十分ではありません。大切なのは、言葉を受け取った相手が「この人は自分のことを考えてくれている」と感じられるかどうかです。

本書が「大人らしい表現」と「大人なら避けたい表現」を対比して示してくれるのは、この点を明確にするためです。例えば依頼の場面で、相手の状況への気遣いをひとこと添えるだけで、同じ内容でも受け手の感情はまったく変わります。「お忙しいところ恐縮ですが」「ご都合がよろしければ」といったクッション言葉の効果は、単なる礼儀ではありません。相手に「選択の余地を与えている」というメッセージであり、関係性を維持しながら目的を達する大人の技術なのです。

「自分ができること」が相手への苛立ちに変わるとき

少し立ち止まって、こんな経験を思い出してみてください。

「なぜこんな簡単なことが伝わらないんだ」「どうしてこんなにわかりにくいメールを送ってくるんだろう」……。部下や同僚に対して、そう感じた瞬間はありませんか?

ある分析によれば、人は自分が難なくできることを他者がうまくできない場面で、無意識のうちに優越感や苛立ちを覚える傾向があるといいます。そしてその感情は、言葉に滲み出ます。「こんなことも知らないの?」という含意のある言い方。「前にも言いましたよね」という言い回し。言った本人は正確なことを述べているつもりでも、受け手は傷つき、関係は静かに壊れていきます。

本書が提唱する「大人の文章力」の核心は、まさにこの感情のコントロールにあります。自分の内側に生まれた苛立ちや優越感に気づき、言葉を選び直す。 それが、他者への想像力であり、文章における倫理的な配慮なのだ、と著者は説くのです。

「他者の立場から書く」という高度な知的作業

「相手の気持ちを考えましょう」というのは、小学校で習うような言葉です。しかし大人になってから改めてこれを実践しようとすると、それが驚くほど難しいことに気づきます。

文章を書くとき、私たちは自分の頭の中にある文脈や背景を前提として語ります。「例の件」「先日お伝えした通り」「いつもの方法で」。書いた本人には何の疑問もないのですが、受け手にはまったく文脈が共有されていない場合があります。これは悪意ではなく、想像力の欠如です。

本書の演習問題が秀逸なのは、具体的な社会的場面を設定した上で「相手はどう感じるか」を考えさせる設計になっている点です。「職場や店舗」「依頼や承諾」「ご近所との日常的なやり取り」。それぞれの場面に応じた言い換えを実際に自分で考えることで、「相手は今どういう立場にあるか」「この言葉は相手にとって負担になっていないか」という視点が、少しずつ身についていきます。

これは頭だけの作業ではありません。ペンを持ち、自分で言葉を選び、正解と照らし合わせることで、他者視点で考える回路が少しずつ育っていくのです。

「言い換える力」は、関係を修復し、信頼を積む

管理職として感じるもどかしさのひとつに、「言い方のせいで話の中身が伝わらない」という状況があります。良い提案をしているはずなのに、言い方が強すぎて議論が止まる。逆に遠慮しすぎて、肝心のことが伝わらない。

本書が提供するのは、この「伝え方の幅」を広げるための訓練です。直接的すぎる表現を婉曲に言い換える。かといって曖昧にしすぎない。相手の選択肢を残しながら、こちらの意図を的確に伝える。この塩梅を、演習を通じて感覚として身につけることができます。

伝わる言葉を選ぶことは、相手への敬意を表すことです。そしてその積み重ねが、部下からの信頼を育て、会議での発言力を高め、家族との会話を豊かにしていきます。言葉は関係そのものです。 言葉が変われば、関係が変わります。

「大人らしい表現」は、やがて自分の品格になる

最後に、少し大きな話をさせてください。

言葉の習慣は、その人の人格として周囲に伝わります。「あの人の言葉には、いつも配慮がある」「話していると、ちゃんと自分のことを考えてくれていると感じる」。そう思われる人が、信頼され、影響力を持ちます。

本書のドリルをこつこつ解き続けることは、文章のテクニックを磨く以上のことを意味します。それは、相手を思いやる習慣を言語化し、自分の中に根付かせるプロセスです。自分ができることを他者ができないときに生じる苛立ちをコントロールし、言葉を通じて相互理解を図る姿勢。著者が「大人の文章力の核心」と呼ぶものは、この姿勢にほかなりません。

難しく考える必要はありません。1日2ページ、ペンを持って問題を解くだけです。ぜひ、今日から始めてみてください。きっと最初の数ページで、「自分はこんな言葉を使っていたのか」という発見が、あなたの言葉を少しだけ豊かにしてくれるはずです。

解きながら身につける大人の文章力
社会生活を円滑に営むための文章のコツを、「依頼する」「謝罪する」などの場面ごとに楽しみながら解いて身につけていくワークブック。敬語表現・主語と述語の関係・話し言葉と書き言葉・適切な慣用表現・まちがえやすい表現など、確かめておきたい文章のコツ...

NR書評猫1174 前田安正 解きながら身につける大人の文章力

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