「これは実話ではないか」と錯覚する恐怖――真梨幸子『殺人鬼フジコの衝動』が仕掛ける現実と虚構の罠

「信じていたことが、実はすべて嘘だった」という経験をしたことはありますか。部下から報告を受け、状況を把握したつもりでいたのに、別の角度から見れば全く異なる事実があった……。職場でも家庭でも、私たちは「自分が見ているもの」を「事実」だと思い込んで判断を下しています。しかし、それが根底から覆されるとき、何が起きるのでしょうか。

真梨幸子の『殺人鬼フジコの衝動』は、まさにその「覆される恐怖」を小説の核心に据えた作品です。本書は連続殺人鬼フジコの生涯を追うルポルタージュという体裁をとっており、読み進めるうちに「フィクションだとわかっているのに、現実の事件を読んでいるような錯覚に陥る」と多くの読者が証言しています。そして終盤、仕掛けられた叙述トリックが炸裂したとき、読者は自分がずっと「巧みに操作された情報の上に立っていた」ことに気づかされるのです。

Amazon.co.jp: 殺人鬼フジコの衝動 (徳間文庫) 電子書籍: 真梨幸子: Kindleストア
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ルポルタージュとして書かれた「事件の記録」という体裁

本書が特異なのは、小説でありながら小説らしくない形式をとっている点です。物語は、フジコの生涯を知るある人物が遺したとされるルポルタージュ形式の記録として展開します。つまり読者は最初から「これは実際にあった事件の調査記録を読んでいる」という感覚の中に放り込まれます。

この手法を「モキュメンタリー」と呼びます。モキュメンタリーとは、ドキュメンタリー形式を模倣したフィクションのことです。映像の世界では『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』などが有名ですが、小説の世界でこの手法を高度に使いこなした作品として、本書は際立っています。

体裁がリアルであるほど、読者は作品世界に引き込まれます。そして、引き込まれれば引き込まれるほど、後に仕掛けられたトリックの衝撃が大きくなる。著者はそれを計算し尽くした上で、この形式を選んでいるのです。

実際の凶悪事件を彷彿とさせるリアリティ

本書が「フィクションとわかっていても実話に見える」と言われる最大の理由は、現実の事件との類似性にあります。

北九州で起きた監禁殺人事件、尼崎で発覚した児童虐待・連続殺人事件――これらは日本社会を震撼させた実際の事件ですが、本書の描写はそれらを強烈に想起させます。閉鎖的な家族関係の中で繰り返される虐待、外部の目が入らない密室で進行するマインドコントロール、死体の処理を他者に強要することで共犯関係を作り上げる支配構造。本書に登場するこれらの要素は、現実の事件と恐ろしいほど重なります。

現実の事件と重なるほど、嘘くさくなるはずが逆にリアルに見える。 この逆説が本書の恐怖の根幹です。

読者は、ここまで描けるのは実際の取材があったからではないかと感じてしまう。だからこそ、完全なフィクションであるはずの本書を、ノンフィクションだと思い込む読者が後を絶たないのです。

「フジコの娘によるあとがき」という最後の罠

本書の最大の仕掛けは、物語の末尾に置かれた「フジコの娘によるあとがき」です。

それまで読者は、フジコの生涯を客観的な記録として読んできました。彼女がいかにしてモンスターへと変貌したか、何人を殺したか、どのような末路を辿ったか。すべて事実として受け入れ、フジコという人物像を積み上げてきたわけです。

ところがこの「あとがき」が、それまで読者が信じていた事実関係をひっくり返します。自分がどの視点から語られた情報を信じていたのか。語り手は本当に信頼できる存在だったのか。物語全体の構造が、この一点によって根底から書き換えられる仕掛けです。

多くの読者から、頭が混乱する、最後の一行で初めて全体の意味がわかったという感想が寄せられています。仕掛けの複雑さから、読解力不足を感じて考察サイトを確認してしまったという声も少なくありません。

再読によって初めて全体像が見える。 そういう構造の作品です。

「信じていたことが覆される」体験の意味

ここで少し立ち止まって考えてみましょう。なぜ、このような「覆される体験」が読者を引き込むのでしょうか。

私たちは日常的に、限られた情報をもとに判断を下しています。部下からの報告、会議での発言、メールの文面。それらを積み上げて「状況はこうだ」「あの人はこういう人だ」と判断する。しかし、そもそも情報を提供してくれた人物の視点や意図が偏っていたとしたら、どうなるでしょうか。

本書が描くのは、まさにその「語り手への依存」の危うさです。読者はフジコの生涯を語る人物を無条件に信頼し、提供される情報をそのまま受け取ります。しかし最後に、その前提そのものが崩れる。これは物語の中だけの話ではなく、情報を受け取る私たち全員が日常的に直面している問題でもあります。

叙述トリックが生む「もう一度読みたい」衝動

叙述トリックという手法は、読者の先入観や思い込みを巧みに利用します。本書の場合、モキュメンタリーという体裁そのものがトリックの土台となっています。「記録小説」という形式を信じて読み進めることで、読者は知らず知らずのうちに語り手の視点に乗っかってしまう。そこに仕掛けが潜んでいたわけです。

このトリックに気づいた瞬間、多くの読者は最初のページに戻りたくなると言います。伏線はどこに張られていたのか。どの描写が、実は別の意味を持っていたのか。一度読んだ文章が、まったく違う顔を持つことの驚き。これが再読必至と言われる理由です。

ミステリーの醍醐味は、謎が解けることよりも、「気づいた瞬間」の知的興奮にあるかもしれません。本書はその体験を、ホラー的な恐怖と組み合わせることで、類を見ない読書体験を生み出しています。

「見えているものが真実ではない」という問いを持って

本書を読み終えたあと、きっとあなたは日常の見え方が少し変わります。あの報告は本当に正確だったか。あの人の言葉の裏に、別の文脈はなかったか。情報を提供した人物の立場や意図が、内容に影響を与えていなかったか。

本書が提示するのは、単なるミステリーの謎解きではなく、「私たちはいつも不完全な情報をもとに判断している」という根本的な問いかけです。それはビジネスの現場においても、家庭においても、常に意識しておく価値のあることではないでしょうか。

ただのグロテスクな殺人鬼小説ではない。現実と虚構の境界を揺さぶりながら、読者の認識そのものを問い直す一冊です。ぜひ最後の一ページまで、疑いを持たずに読み進めてみてください。その先に待っている衝撃は、きっと忘れられない読書体験となるはずです。

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NR書評猫1167 真梨幸子 殺人鬼フジコの衝動

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