「観光地が賑わえば地域経済が潤う」―そう信じて疑わない方も多いでしょう。しかし、本当にそうでしょうか。コロナ前の京都では、観光客が急増する一方で住民の生活環境が悪化し、多くの人が観光公害に悩まされていました。また、あなたが仕事で地方出張に行った際、観光地が混雑しすぎて本来の魅力を感じられなかった経験はありませんか。
宗田好史氏の著書『インバウンド再生:コロナ後への観光政策をイタリアと京都から考える』は、観光の本質とは何か、そしてコロナ後の観光政策はどうあるべきかを問いかけています。本書が示すのは、観光とは単なる経済活動ではなく、異文化との交流を通じて互いの文化を発展させる営みだということです。今回は、イタリアと京都の事例から学べる、持続可能な観光のあり方について考えていきます。
観光の本質は「文化交流」にある
「経済性ばかりに目を向けていたから嫌われたのだ」と宗田氏は指摘します。コロナ前、京都の多くの店舗ではインバウンド客が売上の3割を占めるほど経済的恩恵を受けていました。しかし同時に、観光公害による混雑、マナー問題、地価高騰が住民の生活を圧迫していたのも事実です。
宗田氏が繰り返し強調するのは、観光の本質は文化交流にあるという視点です。私たち日本人が海外旅行を楽しみ、留学で何を学んできたか、何を手に入れてきたかを思い出してほしいと本書は語りかけます。
観光とは、異なる文化を持つ人々が出会い、互いに学び合う場です。日本を見たい人、知りたい人、愛する人、憧れる人を拒むことが本当に正しいのでしょうか。問題だったマナーも、実は急速によくなっていたと宗田氏は指摘します。
ローマのホテル経営者が語る文化交流の力
本書に登場するローマのホテル経営者の証言は、観光が持つ文化交流の力を象徴的に示しています。
「観光客がいなければ、ローマは貧しい田舎町のままだった。ちょっと油断すれば変化に取り残される。観光客の求めに応じて何とかEU水準に追いついた。ホテル・ラニエリは日本水準に近い。有名ブランドは日本人客の好みを受け入れ新商品を開発してきた。観光は異文化との交流を通じて自らを革新し、双方の文化を変容、発展させる」
この言葉には深い洞察があります。観光は一方的に観光客が消費するだけのものではありません。観光を受け入れる側も、観光客との交流を通じて自らを進化させ、サービスの質を高め、新しい価値を創造していくのです。
例えば、日本人観光客の細やかな要求に応えることで、ローマのホテルは日本水準のサービスを提供できるようになりました。イタリアの有名ブランドは日本人の好みを理解し、それに合わせた新商品を開発しました。これは単なる経済活動ではなく、異文化理解と相互発展の過程です。
イタリアの4段階の観光客層変遷が教えてくれること
宗田氏の長年にわたるイタリア研究によれば、ヨーロッパの観光客層は4段階で変化してきました。
第1段階:19世紀後半から戦後にかけての英国富裕層と米国人観光客
イタリアはアメリカの影響を強く受け、大勢の観光客を受け入れるために都市部にホテルが次々と建ち始めました。その結果、家賃が高騰し、住民は追い出されることとなりました。
第2段階:バブル期の日本人観光客
自分たちとは違う生活習慣や文化を持つ東洋人をヨーロッパの人々は奇異な目で見ました。ただしバブル期に購買力を持っていた日本人は、老舗企業を世界的なブランドに成長させました。
第3段階:ベルリンの壁崩壊後の東欧の観光客
初めて自由に旅行できるようになった人々が、ピクニック感覚で気軽に安い旅行を楽しむようになり、働き手としても定着しました。
第4段階:東アジアの観光客
大混雑や住民不在などの観光公害が問題視されました。現在イタリアでは、観光公害解消のため、パークアンドライドや予約制の導入、ツアー観光客を郊外のアウトレットモールに誘導するなど混雑解消に取り組むとともに、魅力ある地方都市へ観光客が分散されています。
この歴史から学べることは、観光客の急増は必ず地域社会に負荷をかけるということです。そして重要なのは、その負荷にどう対応し、持続可能な観光へと転換していくかです。
異文化交流を通じた相互発展の実例
本書では、ローマのホテル経営者だけでなく、レストラン、海辺のホテル、タバコ屋など、様々な人が観光客と町の変化を語っています。宗田氏はこれらの話を集め、資料を添えてその変化を整理しました。
共通しているのは、観光客との出会いが地域を変え、サービスを向上させ、新しい価値を生み出したという点です。これは一方通行ではありません。観光客も、現地の文化に触れることで自らの視野を広げ、新しい価値観を獲得します。
例えば、日本人がイタリアを訪れることで、ゆったりとした時間の過ごし方や、食を大切にする文化を学びます。一方、イタリア側は日本人の細やかな気配りや時間厳守の姿勢から学び、サービスの質を向上させます。このように、観光は双方向の学びと成長の機会なのです。
京都が辿った同様の道筋
イタリアだけでなく、京都もまた戦後から現在に至る観光の盛衰を辿っています。本書では京都を詳細に分析し、イタリアとの共通点と相違点を明らかにしています。
京都でも、インバウンド観光客の急増により経済的利益を得た一方で、観光公害が深刻化しました。バスの混雑、宿泊施設の乱立、住民の生活環境悪化など、イタリアが経験したのと同様の問題が発生したのです。
しかし、これは決して観光そのものが悪いわけではありません。問題は、経済性ばかりを追求し、観光の本質である文化交流を軽視してしまったことにあります。
身近な場所での異文化交流が地域を豊かにする
宗田氏は、身近な場所での異文化交流を文化都市に転換する力にする観光政策のあり方を示しています。これは、大規模な観光開発ではなく、地域に根ざした持続可能な観光のあり方です。
具体的には、観光客数の総量規制、予約制の導入、地方都市への観光客分散などの施策が提案されています。これらは、観光の質を高め、地域住民と観光客の双方が満足できる環境を作るための戦略です。
重要なのは、数値目標ではなく、地域社会と観光客双方の満足度を高める指標へと政策の軸足を移すことです。何人来たかではなく、どれだけ深い文化交流ができたか、どれだけ地域が豊かになったかが真の成功指標なのです。
適正規模のインバウンド受け入れが生む好循環
コロナウイルスの影響により、海外からの観光客がほとんどいなくなり、その経済的損失は大きく、早急なインバウンドの再生が求められています。ただ、経済回復だけにとらわれず、観光は異文化との交流を通じて、多様な文化を受け入れながらわれわれ自身も変わっていきながら、お互いの文化を発展させるものです。
著者は、適正規模のインバウンドを受け入れ、経済的利益を得るためだけの外資や東京資本ではなく地元企業を大事にすることの重要性を説きます。そして、生活や文化の魅力を発信し、他者との交流によってさらにその魅力を深めていくことが大事だとしています。
観光客がコロナ禍で抑制されていた今が再生のチャンスです。適正規模のインバウンドを受け入れ、経済的利益を得るためだけの外資や東京資本ではなく地元企業を大事にすること、生活や文化の魅力を発信し、他者との交流によってさらにその魅力を深めていくことが大事なのです。
観光政策は何をすれば良いのか
本書の第8章では、「量を規制し質を高め地域を潤す八つの戦略」が提示されています。これらは、コロナ後の観光まちづくりを考える上で参考となる具体的な指針です。
量を制御する戦略、地元を優先し厚利少売で世界と結びつく戦略、生活文化を創造し惹きつける戦略など、多角的なアプローチが示されています。これらに共通するのは、観光を単なる経済活動ではなく、地域の持続可能な発展のための手段として位置づけているという点です。
私たちが迎える立場になった今
「今、われわれは迎える立場になった」と宗田氏は語ります。日本を見たい人、知りたい人、愛する人、憧れる人を拒んでいいのでしょうか。問題だったマナーも実は急速によくなっていました。
観光の本質は文化交流です。私たち日本人が海外旅行を楽しみ、留学で何を学んできたか、何を手に入れてきたかを思い出してほしい。そして今度は、私たちが世界の人々に日本の魅力を伝え、互いの文化を発展させる番なのです。
コロナ後の観光まちづくりを考える上で、『インバウンド再生』は重要な示唆を与えてくれます。経済性だけでなく、文化交流という観光の本質に立ち返ることで、地域住民も観光客も幸せになれる持続可能な観光が実現できるのです。

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