部下に新しい企画を提案しても響かない。プレゼンで商品の良さを説明しているのに、なぜか伝わらない。あなたがこんな悩みを抱えているなら、その原因は「相手の心が分からない」ことではなく、実は「自分の心を理解していない」ことにあるかもしれません。
エステーの元宣伝部長として「消臭力」の大ヒットCMを手掛けた鹿毛康司氏の著書『「心」が分かるとモノが売れる』は、マーケティングの本でありながら、職場でのコミュニケーションや提案力を向上させるヒントに満ちています。本書の中でも特に印象的な「ポイント2」では、顧客理解の突破口が意外にも「自分自身の心の中」にあると説かれています 。今回はこの核心部分を深掘りして、あなたの仕事に活かせる実践的な知恵をお伝えします。
なぜアンケート調査では本音が見えないのか
マーケティングでは「顧客の声を聞け」とよく言われます。しかし、鹿毛氏は従来のアンケート調査やインタビューといった定石の手法では、顧客自身も気づいていない本当のニーズ、つまり「心のツボ」を見つけることはできないと断言しています 。
例えば、社会人向け学習アプリを企画する際、「忙しいので隙間時間で学びたい」という顧客の声をそのまま受け止めて5分で学べるコースを提案しても、それは模範解答のように見えて決定打にはならないのです 。なぜなら、顧客が言語化できる表面的な要望に応えるだけでは、論理では説明しきれない深層心理上の動機を捉えられないからです 。
これは職場のコミュニケーションでも同じです。部下に「何か困っていることはある?」と尋ねても、本当の悩みや不安は語られないことが多いでしょう。人間は自分の行動や感情の理由を論理的に説明できないことが珍しくないのです 。
「なぜ?」を繰り返しても真実は見えてこない
深掘り質問で真因を探ろうとして、顧客に「なぜ?」を繰り返し尋ねる手法があります。しかし鹿毛氏は、これを誤ったアプローチだと指摘します 。
当の顧客自身が理由をはっきり覚えておらず、語られる購入理由やきっかけも必ずしも真実ではないからです 。「なぜ?」と問われても、無意識下にある動機までは答えられないのが人間の本質なのです 。
職場でも同様の場面はありませんか?会議で「なぜこの提案に反対なのか」と問い詰めても、相手が本音を語るとは限りません。表面的な理由の裏に、感情的な抵抗や漠然とした不安が隠れていることがあります。したがって、マーケターや管理職は顧客や部下の発言の額面通りの意味を鵜呑みにせず、その背後に隠れた真の動機を想像しなければならないのです 。
突破口は「自分自身の心の中」にある
ではインサイト発見の突破口はどこにあるのか。本書で示される答えは意外にも「自分自身の心の中」です 。
鹿毛氏は、顧客理解のためにまずマーケター自身が自分の心と深く対話する必要性を繰り返し説いています 。顧客の立場に立ってその気持ちになりきり、自分の心の奥底に潜ることで、他者にも通じるインサイトを掴む糸口が得られるというのです 。
著者はこれを「心のパンツを脱ぐ」作業と表現しています 。つまり、自分の過去の思い出したくない感情や体験までも赤裸々に掘り起こし、無意識レベルで自分を突き動かした動機を突き止めることです 。恥ずかしい記憶も含めて自己洞察を徹底することで、「なぜ自分はそれを欲したのか」「なぜその時そう感じたのか」を突き詰めます 。
「心のパンツを脱ぐ」とはどういうことか
この表現には衝撃を受けるかもしれません。しかし、ここに本書の核心があります。
「心のパンツを脱ぐ」とは、過去の自分の「思い出したくもない思い出」と向き合うことです 。もっとドロドロした、人に言いたくないような思いがあったはずです 。
例えば、ある学習サービスを購入した時のことを思い出してください。表向きは「スキルアップのため」と説明するかもしれませんが、本当の動機は「ちょっとしか勉強していないのに、頭がいい自分になりたかった」という承認欲求だったかもしれません 。
このような自分の恥ずかしい動機、見栄や欲望を正直に認めることが、他者の心を理解する第一歩なのです。そうして得られた「自分だけのインサイト」を手がかりに、目の前の顧客や部下にも当てはまりそうな心理を仮説立てていくのです 。
一流のマーケターの前に一流の消費者になる
鹿毛氏は「自分自身のインサイトを導き出す力をつけることで、他者のインサイトを探し当てる力がつく」と述べています 。自分の心すら理解できないようでは、他人の心を理解するのは到底無理だというわけです 。
このように本書では、マーケターがまず「一流の消費者」になる、つまり自分の行動・感情を克明に再現し心理を深く理解することが一流のマーケターへの前提条件だと繰り返し強調されています 。
実際、エステーでは鹿毛氏の「一流のマーケターになる前に一流の消費者になれ」という信条が組織風土として共有され、代替わりしても独自の挑戦的マーケティングが継続しているといいます 。
職場のコミュニケーションに活かす具体的な方法
この考え方は、マーケティングだけでなく、職場でのコミュニケーションにも応用できます。
部下が提案を受け入れない理由を理解したい時、まず自分自身に問いかけてみてください。「自分が若手だった頃、上司からの提案を素直に受け入れられなかった時、本当の理由は何だったか?」と。表向きは「業務が忙しい」と言っていても、実は「自分のやり方を否定された気がして傷ついた」「失敗が怖かった」という感情があったかもしれません。
プレゼンで相手に響かない時も同様です。自分自身が過去にプレゼンを聞いた時、どんな瞬間に「これは違う」と感じたか、逆に「これだ!」と思った瞬間の感情を思い出してみてください。機能説明が詳しかったからではなく、「自分の悩みを理解してくれている」と感じた瞬間ではなかったでしょうか。
自己洞察を深めるための実践ステップ
では、具体的にどうやって「自分の心と対話」すればよいのでしょうか。以下のステップを試してみてください。
まず、最近購入した商品やサービスについて、購入した理由を正直に書き出します。そして、その理由の裏にある本当の感情や欲求を掘り下げます。「便利だから」の裏には「周りに自慢したい」があるかもしれません。「勉強のため」の裏には「劣等感を解消したい」があるかもしれません。
次に、過去に失敗した経験や恥ずかしい思い出を振り返ります。その時の感情を思い出すのは辛いかもしれませんが、そこにこそ人間の本質的な動機が隠れています。
最後に、これらの洞察を目の前の相手に当てはめてみます。「あの時の自分と同じ感情を、今この部下も抱いているのではないか?」という仮説を立てるのです。
自分を知ることが他者理解の近道
この手法の素晴らしい点は、特別なスキルや高価なツールが不要だということです。必要なのは、自分自身と正直に向き合う勇気だけです。
鹿毛氏の主張する「自分の心を深く知ることから始める」というアプローチは、従来のマーケティング理論とは一線を画すユニークな手法です 。しかし、考えてみれば当たり前のことかもしれません。人間である以上、自分も相手も同じような心理メカニズムで動いているのですから。
部下との信頼関係を築きたい。プレゼンで相手の心を動かしたい。家族とのコミュニケーションを改善したい。これらすべての願いの出発点は、まず自分自身の心を深く理解することにあるのです。『「心」が分かるとモノが売れる』が教えてくれるのは、マーケティングの技術というより、人間理解の本質なのかもしれません。

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