# なぜ私たちは「正しさ」に迷うのか?中村文則『教団X』が暴く善悪の真実
あなたは職場で、部下や上司との関係に悩んだことはありませんか?「正しいことをしているつもりなのに、なぜか周りから理解されない」「善意のつもりが裏目に出てしまう」そんな経験はないでしょうか。
実は、私たちが信じる「善と悪」は、思っているほど明確ではないのかもしれません。中村文則の長編小説『教団X』は、そんな現代人の根深い悩みに鋭く切り込んだ作品です。この記事を読むことで、あなたは善悪の境界線がいかに曖昧で、人間関係の複雑さがどこから生まれるのかを深く理解できるでしょう。

なぜ「正しい人」が間違いを犯すのか
『教団X』の物語では、対照的な二つの宗教団体が登場します。一方は東洋哲学を説く松尾の教団、もう一方は性の解放を掲げる沢渡の教団です。表面的には善と悪、光と闇として描かれる両者ですが、実際には「紙一重のところで繋がっている」という不穏な真実が物語全体を支配しています。
これは現実の職場でもよく見られる現象ではないでしょうか。熱心に仕事に取り組むあまり、部下を厳しく指導する上司がいます。その人は「部下のため」という善意で行動しているつもりでも、結果的にパワハラと受け取られてしまうことがあります。
松尾と沢渡という対照的な教祖たちも、実はかつて同じ師のもとで学んだ同志でした。善の象徴と悪の象徴が、もともと同じ出発点から始まっていたのです。この設定が示すのは、人間の価値観や行動原理がいかに表裏一体の関係にあるかということです。
人間関係で悩む本当の理由
物語の主要登場人物たちを見ると、さらに興味深い事実が浮かび上がります。性的虐待の過去を持つ高原は、沢渡の教団に属しながらも、最終的にはその教団に対してテロを企てようとします。被害者でありながら加害者にもなり得るという二面性を抱えているのです。
これは私たちの日常生活でも同様です。部下に対して優しく接しようと心がけている管理職の方でも、プレッシャーを感じる場面では思わず厳しい言葉を発してしまうことがあります。家庭では良き父親であろうと努力している人が、職場では部下に対して冷淡になってしまうこともあるでしょう。
登場人物たちが善悪の単純な枠組みでは捉えきれない存在として描かれているように、私たち自身も複雑で矛盾した感情や動機を抱えながら生きているのです。
運命に翻弄される現代人の姿
『教団X』では、主要な登場人物たちの運命が、松尾の教団と沢渡の教団という二つの対立する勢力の間で翻弄されます。彼らは自分の意志で行動しているつもりでも、実際には大きな思想的対立の渦に巻き込まれているのです。
これは現代の企業社会でも似たような構図が見られます。会社の方針転換や組織再編の中で、個人の価値観や信念が試される場面があります。新しい働き方改革を推進する経営陣と、従来の方法を重視する現場との間で、中間管理職は板挟みになることがしばしばあります。
どちらの立場にも正当性があり、どちらも間違っているわけではありません。しかし、対立する価値観の間で揺れ動くことで、私たちは自分自身の立ち位置や信念について深く考えさせられるのです。
複雑な現実を受け入れる勇気
中村文則が『教団X』で描いているのは、単純な勧善懲悪の物語ではありません。善と悪が複雑に絡み合い、一見対立するものが実は表裏一体の関係にあるという現実の複雑さです。
職場でも家庭でも、私たちは常に様々な選択を迫られます。その時に大切なのは、物事を白黒はっきりさせようとするのではなく、グレーゾーンの存在を認めることかもしれません。
相手の立場や背景を理解しようと努め、自分自身の中にも矛盾や弱さがあることを受け入れる。そうした姿勢こそが、人間関係を円滑にし、組織の中で生き抜いていくための知恵なのではないでしょうか。
まとめ
『教団X』は、善と悪、光と闇が表裏一体となって私たちの運命を左右する「運命の渦」について深く考えさせてくれる作品です。現代社会を生きる私たちにとって、この物語が投げかける問いは決して他人事ではありません。
複雑で矛盾に満ちた現実を受け入れながらも、自分なりの価値観を持ち続ける。そんなバランス感覚こそが、これからの時代を生き抜くために必要な力なのかもしれません。

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