あなたは普段、政治のニュースを見て「結局、誰が決めているんだろう?」と疑問に思ったことはありませんか。
毎日のように報道される政治の動きを見ていると、政治家が本当に国民のために働いているのか分からないという気持ちになることもあるでしょう。
中山七里著『総理にされた男』は、そんなモヤモヤした気持ちに明快な答えを与えてくれる一冊です。売れない舞台役者が偶然にも総理大臣の影武者となり、政治の素人だからこそ見えてくる日本の真の問題を浮き彫りにしていきます。
この記事では、本書が描く官僚支配の実態と、政治本来の姿への問いかけについて詳しく解説します。読み終わる頃には、あなた自身が政治に対して新たな視点を持てるようになるでしょう。
日本を動かしているのは政治家ではなく官僚だった
『総理にされた男』の最も衝撃的な描写は、日本の政治が実質的に官僚によって動かされているという現実を容赦なく暴き出すところです。
作中には「日本を動かしているのは、政治家ではなく官僚です。国策、予算、立法、行政全てが彼らの意思によって統治・運営されている。わたしたち国会議員はそれに追随し、追認するだけの存在に成り下がっているのが現状です」という象徴的なセリフが登場します。
主人公の加納慎策は、政治の専門知識を全く持たない素人です。しかし、だからこそ既存の政治的枠組みや慣習にとらわれることなく、純粋な視点から「国民のため」という政治の根源的な目的を追求していきます。
彼の「青臭い」とも評される発想や行動は、長らく停滞していた政治状況に一石を投じ、周囲の人々を巻き込みながら変革の動きを生み出していくのです。
素人だからこそ見える政治の本質
慎策が政治・経済の知識を全く持たないため、作中では読者にとっても難しい事柄が非常に分かりやすい言葉で説明されています。
官僚政治の実態を知り、復興支援の停滞を「可笑しい」と感じた慎策は、子供のように純粋な疑問を口にし、周囲に「どうすればいいのか」を問い、そしてそれを実行に移します。
この描写は、「無知であると言うことは、時に大きなものを動かす原動力となる」というメッセージを読者に伝えています。さらに、慎策はあくまで真垣の物まねをする役者という意識を保ち、権力に溺れることがありません。
むしろ、自分が持つ力は、困っている人々を放っておけないという純粋な気持ちから、他者のために使うべきものだと考えて行動するのです。
政治にロマンを求めてはいけませんか
物語の中で特に印象的なのは、官僚を擁護する族議員との対話で、慎策が問いかける「政治にロマンを求めてはいけませんか」という言葉です。
この問いは、現実の政治が失ってしまった「理想」や「ロマン」を読者に問いかけるものです。作者は、政治家の本来の役割が官僚によって形骸化されていることが、政治の停滞と国民の政治離れを引き起こしているという構造的な問題を提起しています。
もし選ばれた政治家が国民のために真摯に働かず、非選挙の官僚機構に従属する存在であるならば、国民の政治に対する信頼は必然的に低下します。このような政治的無力感や無関心が、「国家国民の為に働こうと汗を流している政治家なんていない」という国民の認識を生み出す一因となっているのです。
現代社会への問いかけ
本書が描く、政治の素人が熟練の政治家や官僚を凌駕していく構図は、単に新鮮な視点を提示するだけでなく、現代社会における専門家主義や既存の権威に対する一種の批判として捉えることができます。
従来の政治システムが抱える硬直性や既得権益の弊害を、主人公の「素人」性が浮き彫りにします。これは、リーダーシップにおいて、単なる専門知識だけでなく、共感性や腐敗していない意志といった要素が、いかに重要であるかを問いかけています。
政治家が「国民のために働く」という本来の役割から逸脱し、結果として国民の政治への無関心や不信感を生み出しているという連鎖的な関係を、本書は見事に描き出しているのです。
私たちが求める政治のあり方
中山七里氏の『総理にされた男』は、現代日本の政治が抱える根本的な問題を、エンターテインメント性豊かに描いた傑作です。
政治の専門知識を持たない主人公だからこそ見えてくる真実は、私たちが普段感じている政治への疑問や不信を言語化してくれます。そして、政治本来の目的である「国民の幸福」を追求することの大切さを、あらためて教えてくれるのです。
本書を読めば、あなたも政治に対する新たな視点を得ることができるでしょう。そして、真に国民のために働く政治家とは何かについて、深く考えるきっかけを得られるはずです。
政治への関心を持ち続けることこそが、より良い社会を築く第一歩なのかもしれません。

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