部下とのコミュニケーションに悩んでいませんか?何度指示しても理解してもらえない、ミスが繰り返される、チームの輪に馴染めない部下がいる。こうした問題を前に、多くの管理職が「どうすればこの部下を変えられるのか」と頭を抱えています。しかし、精神保健福祉士であり公認心理師でもある佐藤恵美氏の『部下の発達特性を活かすマネジメント』は、まったく違う視点を提示してくれます。それは、部下を変えるのではなく、環境と関わり方を調整することで、誰もが力を発揮できる職場を作るという考え方です。本書は、ベストセラー『もし部下が発達障害だったら』を全面改訂したもので、最新の事例と洗練された枠組みを取り入れています。
「問題」ではなく「特性」として捉える視点転換
多くの管理職が陥る罠は、困った行動をする部下を「問題社員」として捉えてしまうことです。しかし本書は、発達障害という診断的な用語の代わりに「発達特性のある人」という表現を意図的に用いています。この呼称の転換は、単なる言葉遣いの問題ではありません。発達特性をめぐる議論から負の烙印を取り除き、会話の枠組みを再構築するための戦略的な一手なのです。
管理職に対し、診断名というラベルの先にある、個人が示す具体的な認知や行動の特性に焦点を当てることを促します。このアプローチには大きなメリットがあります。正式な診断を受けていない、いわゆるグレーゾーンの個人も包括するため、よりインクルーシブな支援が可能になるのです。
実はこの視点転換により、管理職が支援に踏み出す際の心理的障壁が著しく低下します。医学的な問題に対処することには資格がないと躊躇していた管理職も、口頭より書面での指示を好むといった特性に対応することは、通常のマネジメントの範疇にあると感じられるからです。診断者としての役割を担う必要がなくなり、本書のアドバイスをより迅速かつ具体的に実行に移すことが可能となります。
部下ではなく環境を変える発想の転換
本書の核心的な主張は、発達上の違いを課題ではなく可能性として捉え直す視点の転換にあります。これは、部下本人を変えることから、環境やプロセスを調整することへとマネジメントの焦点を移す、根本的な哲学の変革を意味します。
相手を変えなければならないという従来の視点からの脱却を、本書は強く主張しています。その代わりに、いかにして周囲の関わり方や環境を調整できるかに焦点を当てます。この原則は、責任と主体性を管理職と組織の側に明確に位置づけるものです。これにより、リーダーは部下の神経学的な構造という制御不能な要素を変えようとする不適切な試みから解放され、執務環境の整備、コミュニケーション手順、タスクの割り当て方法といった、具体的かつ制御可能な変数に集中できるようになります。
この環境を調整するというアプローチは、特定の個人のための配慮に留まらず、チーム全体の利益に繋がる普遍的な設計思想へと発展する可能性を秘めています。例えば、聴覚情報処理に困難を抱える部下のために明確な指示書を作成するという工夫は、口頭での説明を聞き逃した他の同僚や、会議に参加できなかったリモートワーカー、後から指示内容を確認したいすべての従業員にとっても有益です。したがって、本書が提案する戦略は、一部の従業員への特別な配慮ではなく、チーム全体の明確性を高め、曖昧さを減らし、生産性を向上させるマネジメントにおけるユニバーサルデザインの原則と見なすことができます。
明日から使える5つの具体的な工夫
本書の第3章では、実践的で効果的なノウハウが豊富に紹介されています。これらは低コストで高い効果が期待できる5つの介入領域に分類できます。
刺激のコントロールでは、感覚過敏に対応するため、ノイズキャンセリングイヤホンやパーティションの活用、あるいは在宅勤務の導入によって、刺激の少ない環境を整えます。作業中断の管理では、集中を妨げるスマートフォンを視界から遠ざける、集中作業時間を設定して電話応対などを免除する、あるいは集中時間中であることを示すサインボードを活用するなど、集中を維持するための工夫を行います。
タスクの可視化では、資料作成といった漠然としたタスクを、スライドのタイトル決定、グラフ作成のように具体的で小さな単位に細分化し、タスク管理アプリなどで進捗を可視化します。時間管理の工夫では、ポモドーロ・テクニックのような構造化された時間管理術を推奨し、集中力の維持を支援します。集中力とモチベーションの維持では、単調な作業に対して、ここまで終えたらコーヒーを飲むといった自己報酬を設定したり、30分でどこまで進められるかといったゲーム感覚を取り入れたりすることで、作業への意欲を高めます。
事例で学ぶ多様な行動パターンの理解
本書の構成において、第4章の事例から学ぶ職場における発達特性への理解と対応は極めて重要な役割を担っています。読者レビューにおいても、これらの具体例が多様な行動パターンの理解に役立ったと高く評価されています。
事例研究は、理論と実践の間の溝を埋める架け橋として機能します。これにより管理職は、本書で提示された原則が実際の職場でどのように機能するかを目の当たりにすることができます。一見すると不可解、あるいは苛立たしく思える行動の背後にある内的な論理を物語として理解することで、共感が育まれ、抽象的な概念が身近な職場のシナリオへと変換されるのです。
マネジメントの質を高める3つの価値
本書が管理職や人事担当者にもたらす価値は、大きく3つに集約されます。
リアクティブな問題解決からプロアクティブな環境設計への転換が第一の価値です。本書の最大の価値は、管理職の思考様式を、この人物の問題をどう修正するかから、この人物が能力を発揮できる労働環境をどう設計するかへと転換させる点にあります。これにより、管理職の役割は、問題発生後に対応する消防士から、高いパフォーマンスを発揮できるインクルーシブな職場を構築する建築家へと再定義されます。
普遍的な集中力と生産性を高める、実践的で低コストなツールキットが第二の価値です。本書で提案されている配慮の多くは、実はチーム全体に利益をもたらす優れたマネジメント手法そのものです。したがって、本書はニューロダイバーシティ対応のためだけの専門書ではなく、すべての人にとってより明確で、構造化され、効果的なマネジメントを実現するためのガイドブックでもあります。
ダイバーシティとインクルージョン時代における、現代のピープルマネジメントのためのリスク低減マニュアルが第三の価値です。現代の職場において、ニューロダイバーシティの理解と支援は、単なる望ましいことではなく、人材定着、心理的安全性、そして法的コンプライアンスの観点からも不可欠な要素となっています。本書は、誤解を避け、従業員と管理職双方の燃え尽きを防ぎ、真にインクルーシブなチームを構築するための言語と戦略をリーダーに提供することで、マネジメントに伴うリスクを低減する実践的なマニュアルとして機能します。
信頼される上司への第一歩
昇進したばかりで部下とのコミュニケーションに悩んでいる方や、会議での発言が思ったように伝わらないと感じている方にとって、本書は信頼される上司になるための具体的な道筋を示してくれます。部下の行動の背景にある特性を理解し、環境を調整することで、今まで困難だと感じていた関係が劇的に改善する可能性があります。
著者の佐藤恵美氏は、精神保健福祉士および公認心理師としての資格を持つ、当該分野における高度な専門家です。その豊富な現場経験に裏打ちされた実践的なアドバイスは、本書の提言に大きな説得力を与えています。本書は、多様な個性が響き合う、活力あるチームを実現するための理論と実践が詰まった一冊と言えます。

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