あなたは「天才」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべますか?遠い世界で孤高に生きる理解不能な存在でしょうか。それとも、私たちとは全く異なる感覚を持つ、別世界の住人でしょうか。恩田陸の長編小説『spring』は、そんな天才の姿を、これまでにない方法で描き出しています。本作の主人公は、萬春という名のバレエダンサーであり振付家です。しかし、この物語は主人公自身の視点から語られるのではなく、彼の周囲にいる人々の目を通して、その輪郭を丹念に描き出していきます。10年の歳月をかけて構想・執筆されたこの作品は、芸術と天才を描く新たな地平を切り拓いた記念碑的な小説です。
天才を外から見る、内から感じる
『spring』の最大の特徴は、その独特な構造にあります。物語は四部構成になっており、最初の三つの章では、萬春の同輩、叔父、そして協働者である作曲家が、それぞれの立場から彼を語ります。そして最後の章で初めて、萬春自身の視点が現れるのです。この構造は単なる物語の技巧ではなく、他者からは決して完全には理解し得ない存在である天才を理解するための、構造的なメタファーそのものとなっています。
読者はまず、友人である深津純の視点を通して、春が十代の頃から常人とは異なる知覚を持っていたことを知ります。海外留学を目指すオーディションの場で、他の参加者が互いの技術を値踏みする中、春はただ周囲を見渡していました。純が問うと、春は答えます。「この世のカタチ、かな」と。この一言は、春にとってバレエが単なる技術の披露ではなく、世界を認識し、その構造を理解するための手段であることを示唆しています。
次に、叔父である稔の回想から、その知覚の原点が言葉以前の身体的衝動にあったことを理解します。運動神経抜群の両親のもとに生まれた春は、体操クラブに見学に行きましたが、何も感じませんでした。しかし、川べりを散歩しながら無意識にくるくると回っていた春の姿を、偶然通りかかったバレエ教師のつかさが見初めたことが、彼の人生を決定づけたのです。
多角的な視点が生み出す立体像
そして、作曲家の滝澤七瀬との協働作業を通して、春の知覚がプロフェッショナルな芸術作品へと昇華される過程を目撃します。春と七瀬が共同で十数作にも及ぶ架空のバレエ作品を創造していく過程は、音楽と舞踊という異なる芸術が如何にして一つの舞台芸術へと結実するのかをスリリングに描き出しています。七瀬が語る「オリジナリティを保ち続けるには、進化しなければならないし、深化しなければならない。変わらないために変わり続ける」という言葉は、本作が提示する芸術哲学の核心の一つです。
これらの外部からの視点を経て、最後に春自身の口から、彼の芸術が「舞台の神」を求める哲学的な探求であることが明かされます。彼にとって踊ることは、世界を理解するための言語であり、呼吸そのものです。物語のクライマックスは、春が自身の名を冠したストラヴィンスキーの『春の祭典』を自ら振り付け、一人で踊る場面です。この舞踊は、彼の芸術家としての人生の集大成であり、自らを神への生贄として捧げることで至高の芸術を生み出そうとする、壮絶な創造行為として描かれます。
なぜこの構造が重要なのか
この多角的なアプローチこそが、本作の比類なき読書体験を生み出しています。一般的な小説であれば、主人公の視点から物語が進むものですが、『spring』はあえてそれを避けました。なぜでしょうか。それは、天才という存在は、外から見た姿と内面世界が大きく異なるからです。
天才は往々にして、周囲の人々から理解されにくい存在です。彼らの思考や感覚は常人とは異なり、説明しようとしても言葉にならないことが多いのです。春も、人には伝わらない自分だけが持っている感覚を抱えています。このような天才の孤独を描くために、恩田陸は外側から内側へと徐々に焦点を絞り込んでいく構造を選んだのです。
読者はまず、春を「現象」として認識します。純の目には、春は不思議な少年として映ります。稔の目には、原初的な才能を持つ少年として映ります。七瀬の目には、類稀なる振付家として映ります。これらの断片的なイメージが、最終章で春自身の内面世界と融合することで、読者はその天才性の根源に触れることになるのです。
他者の目を通して自分を知る
この物語の構造は、私たちの日常生活にも通じるものがあります。私たちは、自分のことを最もよく知っていると思いがちですが、実は他者の目を通して初めて見える自分の姿があります。部下からどう見られているのか、妻からどう思われているのか、子どもの目にはどう映っているのか。それらの視点を総合することで、より立体的な自己理解が可能になるのです。
恩田陸は過去にも『チョコレートコスモス』で演劇を、『蜜蜂と遠雷』でピアノコンクールを題材にした作品を発表してきましたが、『spring』はそれらとは一線を画します。『蜜蜂と遠雷』が複数の才能が火花を散らす群像劇であったのに対し、『spring』は萬春という一人の天才の内面に深く沈潜していく、より哲学的で観念的な探求の物語なのです。
言葉にできないものを言葉で伝える挑戦
バレエという身体芸術を文学で描くことは、極めて困難な挑戦です。動き、身体性、そして一瞬のうちに消え去る刹那の芸術を、文字という静的な媒体のみで捉えるという試みは、途方もないものです。しかし、恩田陸はこの挑戦に10年の歳月をかけて取り組みました。
特に印象的なのは、オリジナル作品『アサシン』において、春が「エロくない」天国と「コワくない」地獄の踊りとは何かを手本で見せる場面です。春が創作したバレエは、性を超え、人間を超えた「えたいのしれない官能」を言葉だけで現出させようとする、文学の極致とも言える試みです。恩田陸の表現力は、読者にバレエの凄みを十分に伝えてくれます。
この物語を読むことで、あなたも天才という存在を新しい視点から理解できるようになるでしょう。そしてそれは、他者を理解することの難しさと大切さを、改めて教えてくれるはずです。部下や家族とのコミュニケーションにおいても、相手を一つの視点だけで判断するのではなく、多角的に理解しようとする姿勢が重要なのです。

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