家族とは何でしょうか。血のつながりがあることが家族の条件でしょうか。それとも、一緒に過ごす時間や愛情の深さが重要なのでしょうか。
現代社会では、様々な形の家族が存在します。ステップファミリー、養子縁組、シングルマザーやシングルファザーによる家庭など、昔ながらの「血縁家族」だけが家族ではありません。しかし、多くの人は「本当の家族とは血のつながりがあるもの」という固定観念を持っているのではないでしょうか。
瀬尾まいこ氏の『そして、バトンは渡された』は、そんな私たちの家族観を根底から見直すきっかけを与えてくれる感動の物語です。本屋大賞を受賞し、映画化もされたこの作品は、血縁を超えた愛の力について深く考えさせてくれます。
複雑な生い立ちなのに幸せな少女・優子の物語
主人公の優子は、一般的に見れば「複雑な家庭環境」で育った女子高校生です。幼い頃に実母を亡くし、その後3人の父親と2人の母親に育てられ、姓を4回も変えています。普通なら「かわいそうな子」と同情されそうな境遇です。
ところが優子は物語の冒頭で「困った。全然不幸ではないのだ」と語ります。なぜなら、彼女はそれぞれの親から深い愛情を注がれ、自分を心から幸せだと感じているからです。
この設定が秀逸なのは、読者の先入観を覆すことから物語が始まることです。私たちは無意識に「血のつながらない親子関係は不安定で、子供は傷つくもの」と考えがちです。しかし優子の明るい人柄と揺るぎない幸福感は、そんな思い込みが間違いであることを教えてくれます。
3人の父親が示す多様な愛情の形
優子を育てた3人の父親は、それぞれ異なる形で愛情を示します。
実父の水戸さんはブラジル赴任により物理的に離れましたが、血縁の絆を象徴する存在です。二人目の父・泉ヶ原さんは経済的な豊かさとピアノという文化的な機会を提供しました。そして三人目の父・森宮さんは、毎日の食事作りを通じて日常的で温かな愛情を注いでいます。
これは単なる責任の押し付け合いではありません。優子の成長段階に応じて、その時々で最も必要な種類の愛が適切に提供されていく過程として描かれています。
一人の親がすべてを担う必要はない。複数の大人が協力し合って一人の子供を育てることも、立派な家族の形なのです。
梨花の真実が明かす愛の深さ
物語で最も印象深いのは、二人目の母・梨花の存在です。彼女は表面的には夫を次々と変える自由奔放な女性として描かれます。優子を置いて突然姿を消すなど、一見すると無責任な母親に見えます。
しかし物語が進むにつれて、梨花の全ての行動が実は不治の病に侵された自分の死期を悟った上で、遺される優子の未来を盤石にするための計算された愛情の戦略であったことが明らかになります。
裕福な泉ヶ原氏との結婚は優子にピアノという文化資本を与えるため。そして誠実で安定した森宮さんとの再婚は、優子の最後の父親として「遺す」ためでした。最後の失踪さえも、優子に二度も母親の死を看取らせたくないという配慮だったのです。
この展開は読者の心を深く揺さぶります。愛情が時に理解しがたい形で現れることもあるという、本作の重要なメッセージが込められています。
「バトン」の意味が示す愛の継承
タイトルにある「バトン」とは何を指すのでしょうか。物語の終盤で、その意味が美しく明かされます。
優子が結婚式のバージンロードを歩く際、血のつながりのない育ての親である森宮さんを選ぶ場面があります。これこそが「バトン」の真の意味です。日々の細やかなケアと愛情を通じて築かれた絆が、実の親子関係を超えて大切にされる瞬間です。
愛のバトンは血縁ではなく、心のつながりによって受け渡されるのです。親から子へ、そして子から次の世代へと続く愛情の連鎖こそが、この物語の核心なのです。
現代社会への希望のメッセージ
この作品が多くの読者に愛される理由は、現代社会が直面している家族の多様化という現実に、温かい希望を与えてくれるからです。
離婚率の増加、再婚家庭の増加、様々な事情で親と離れて暮らす子供たち。こうした現実に対して、本書は「血のつながりがなくても、深い愛情に満ちた家族関係は成立する」という明確な答えを示しています。
著者の瀬尾まいこ氏は、デビュー作『卵の緒』でも血縁を超えた愛を描いており、血のつながりよりも愛情の深さを重視するというテーマは彼女の一貫した信念であることがわかります。
読後に残る温かな感動
『そして、バトンは渡された』を読み終えた時、きっとあなたも優子と同じように「困った。全然不幸ではないのだ」という気持ちになるでしょう。
この作品は単なる感動物語ではありません。家族とは何か、愛とは何かという根本的な問いに対する一つの答えを提示してくれる、深い洞察に満ちた作品です。
血のつながりという枠を超えて、愛情と献身によって結ばれた人々の絆の美しさ。そして、その絆が次の世代へと受け継がれていく希望に満ちた物語。読み終わった後、きっと周りの人への感謝の気持ちが湧いてくることでしょう。
現代を生きる私たちにとって、家族の形は一つではありません。しかし、どんな形であれ、そこに愛があれば、それは間違いなく幸せな家族なのです。本書はそのことを優しく、そして力強く教えてくれる珠玉の一作です。

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