毎日同じ電車に乗り、同じオフィスで働き、同じルーティンを繰り返す中で、ふと感じることはありませんか。「あれ、これって本当にあったことだっけ?」という瞬間や、確かに置いたはずのものが見つからない不思議な体験を。
そんな日常の小さな違和感を、まるで夢のような物語で描き出した作品があります。駒田隼也氏のデビュー作『鳥の夢の場合』です。本作は群像新人文学賞を受賞し、芥川賞候補にもなった話題作ですが、その魅力は単なる文学的評価にとどまりません。
この記事では、現代社会を生きる私たちが抱える「認識の不確かさ」というテーマを通じて、本書が提示する深い洞察をご紹介します。読み終わる頃には、あなたの日常の見方が少し変わっているかもしれません。
1. 「ないはずのものがあって、あるはずのものがない」という不思議な感覚
『鳥の夢の場合』の核心にあるのは、私たちが普段当たり前と思っている現実の構造への疑問です。作品中で繰り返し描かれる「ないはずのものがあって、あるはずのものがない」という感覚は、多くの読者の心に響きます。
たとえば、絶対にあるはずのボールが見つからないこと。話した当人すら忘れてしまった言葉を覚えていること。現実には存在していなかったけれど、確かに存在していた大切な時間のこと。これらの描写は、私たちの日常にも潜んでいる微妙な違和感を見事に言語化しています。
IT業界で働く私たちなら、システムの不具合やデータの消失といった「あるはずのものがない」体験は身近でしょう。一方で、バックアップから復元されたデータが「なかったはずなのにある」という体験もあるかもしれません。
駒田氏が描くこの世界観は、単なる幻想ではなく、私たちが気づいていないだけで現実にも存在するかもしれない感覚なのです。
2. 衝撃的な冒頭が示す生と死の境界線
物語は「おれ、死んでもうた。やから殺してくれへん?」という、一見気軽でありながら不穏な一文から始まります。この導入部は読者に強烈なインパクトを与えると同時に、生と死という明確に区別されるはずの境界が曖昧になる世界を端的に示しています。
同居人の蓮見が「死んでしまった」と告げ、実際に脈も心臓も止まっているにもかかわらず、主人公の初瀬が冷静に対応する様子は印象的です。この設定は読者に、従来の物語の枠組みや常識的な倫理観から解放されることを強く促します。
著者の駒田氏は、この設定について「人を殺した後の人間の状態を書きたいと思ったのが最初です。ただ、殺した後を書くために、殺意や殺人の動機や罪の意識は排除したかった」と語っています。これは、感情的な枠組みから切り離して、より根源的な存在の問題を探求するという意図を示しています。
3. 身体感覚と認知のズレが生む「わからなさ」の美学
古川日出男氏の選評では、本作について「人間の身体的感覚と認知の狭間にある『わからなさ』への追求という作業に関してこの作品は卓越している」と評されています。この指摘は、作品の哲学的な核心を捉えたものです。
作品中の「目を閉じると何も見えなくなった。けど実際には目はまだ、まぶたの裏を見ている。見ることを止めるという機能が目にはない」という描写は、身体が感じていることと頭で理解していることの間に生じる根源的な「わからなさ」を直接的に表現しています。
この「わからなさ」は、現代社会が求める「わかりやすさ」や「説明可能性」とは対極にある文学的姿勢です。人間の認識の限界や多層性を描くことで、作品に深い哲学的な奥行きを与えるのです。
私たちも日常の中で、論理では説明できない直感や、言葉にできない違和感を経験することがあります。本作は、そうした「わからなさ」そのものに価値を見出す視点を提供してくれます。
4. 日常に潜む曖昧な境界への気づき
『鳥の夢の場合』が優れているのは、私たちが普段意識せずに受け流している日常の中に、ちぐはぐで曖昧な瞬間が存在することを浮き彫りにする点です。
夢と現実、過去と現在、生と死といった二項対立的な概念の境界線が意図的に曖昧に描かれることで、読者は自身の日常を深く見つめ直すことを促されます。たとえば、会議中にふと意識が遠のく瞬間、記憶が曖昧になる体験、確信していたはずのことが揺らぐ感覚など。
これらは単なる物語上の演出ではありません。現代社会における情報過多や真偽の不確かさ、個人の内面と外界の乖離といった、より広範な現代的テーマとも共鳴する要素なのです。
作品は読者に対し、固定観念を打ち破り、多角的な視点から世界を捉え直す機会を提供しています。これは、現代の複雑な情報環境における認識のあり方を問う、重要な文学的試みといえるでしょう。
5. 現代人の「不確実性」に寄り添う文学
本作が描く「曖昧な認識」や「わからなさ」は、現代社会の状況に対する文学的な応答として読むことができます。私たちが生きる現代社会は、情報は溢れているものの、その真偽や意味の不確かさに常に直面しています。
明確な答えがない世界を生きる上での感覚的な指針や、不確かさを受け入れる姿勢を、読者は作品を通じて学ぶことができるのです。これは単なる逃避ではなく、曖昧さの中に新たな意味や美を見出す視点の提供といえます。
特に、プロジェクト管理や意思決定を日々行う中間管理職の立場にいる方々にとって、この「不確実性との向き合い方」という視点は示唆に富むものでしょう。完璧な情報や絶対的な正解を求めがちな現代において、曖昧さそのものを受け入れる柔軟性の重要さを、文学を通じて体験できます。
結論:認識の文学が開く新しい読書体験
駒田隼也氏の『鳥の夢の場合』は、境界の曖昧さを描く「認識の文学」として、現代を生きる私たちに重要な問いかけを投げかけています。
「ないはずのものがあって、あるはずのものがない」という感覚から始まり、身体感覚と認知のズレが生む「わからなさ」の美学、そして日常に潜む曖昧な境界への気づきまで、本作は私たちの認識そのものを揺さぶる体験を提供します。
この作品を読むことで、あなたの日常の見方が少し変わり、不確実性の中にも新たな価値や美を見出せる視点を得られるでしょう。それは、複雑な現代社会を生き抜く上で、きっと大きな力となるはずです。
今後も駒田氏の作品から、現代人が直面する認識の問題について、さらなる洞察が生まれることが期待されます。


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