「悪人」と呼ばれる人は、本当に悪人なのか——吉田修一『悪人』が問い続ける、法と道徳のあいだに潜む深い溝

「悪い奴が悪いことをした」――事件が起きるたびに、私たちはこう思おうとします。

そうすると気が楽になる。加害者を「悪人」と名指しして、「自分はああはならない」と安堵できる。しかし吉田修一の『悪人』は、その安堵を最初から許してくれない小説です。

長崎の漁村で暮らす土木作業員・清水祐一は、出会い系サイトで知り合った女性を殺します。事件は地方都市の倦んだ日常と、孤独な若者たちの見えない傷の上に落ちた。法はやがて祐一を「犯人」と決め、社会は彼を「悪人」と呼ぶ。しかし――本当に「悪人」は彼だけなのか。

第61回毎日出版文化賞・第34回大佛次郎賞をダブル受賞し、本屋大賞4位、累計210万部を超えたこの一作は、「犯罪小説の形を借りた倫理の問い」として、今もなお読者に問いかけ続けています。

Amazon.co.jp: 悪人 新装版 (朝日文庫) 電子書籍: 吉田 修一: Kindleストア
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1. 「問いの連鎖」で構成された章立て――答えを先送りにする設計

本書を手に取ると、まず目次が目に入ります。

「第一章 彼女は誰に会いたかったか?」「第二章 彼は誰に会いたかったか?」「第三章 彼女は誰に出会ったか?」「第四章 彼は誰に出会ったか?」「最終章 私が出会った悪人」

全ての章題が「問い」として提示されている。これは一般的な小説とは異なる構成です。通常の章題は内容の概説(「逃亡」「告白」「再会」など)であって、問いかけではない。しかし本書は「答えを章題に持ってこない」ことで、読者を最終章まで「問い」の中に置き続けます。

そして「最終章 私が出会った悪人」。この「私」は誰なのか。何に出会ったのか。この問いの結末に何があるのか――目次を読んだだけで、先を読まずにはいられない引力が働きます。

吉田修一はこの構造について、「犯罪者側の立ち位置が基本」であり、「普通に、誰しもにあり得ること」として罪を描くと語っています。「悪人は特別な怪物ではなく、あなたの隣にいる普通の人かもしれない」――この発想が、問いの連鎖という形式に反映されています。

2. 「犯人」は早々に明かされる――本書が問うのは別の何か

本書はミステリではありません。

物語が動き出して早い段階で、清水祐一が殺人を犯した「犯人」であることはほぼ明らかになります。謎解きのための情報隠蔽はない。読者は「誰が犯人か」を突き止める楽しみを最初から与えられていない。

では本書は何を問うているのか。「なぜ、祐一だけが『悪人』と呼ばれるのか」――です。

被害者・石橋佳乃は、どんな人物だったのか。出会い系サイトで知り合った男を金とセックスの道具として扱い、平然と嘘をつき、人格を否定してきた。裕福な大学生・増尾圭吾は、佳乃を弄び、深夜の峠に蹴り出して置き去りにし、事件後も仲間と談笑を続けた。祐一の母は幼い彼を置き去りにした。祖母を騙す悪徳商法の業者がいる。マスコミは容疑者家族を追い回し、二次加害を行う。

法はこれらの人物を「犯人」とは呼ばない。罪は問われない。しかし――彼らは「悪人」ではないのか。

章ごとに視点が切り替わるたびに、読者の感情移入の対象は変わり、共感と嫌悪が入れ替わる。これが本書の根本的な仕掛けです。

「誰が悪人か」は視点によって揺れる――これが本書の最も正直な告白

3. 石橋佳男の台詞――「失うものがない人間」の恐ろしさ

本書で最も広く引用される台詞の一つが、被害者の父・石橋佳男が語る言葉です。

「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、何でもできると思い込む。自分には失うもんがなかっち、それで自分が強うなった気になっとる。失うものがなければ、欲しいものもない」

この言葉が向けられているのは、法に裁かれない増尾圭吾の「悪」です。増尾は裕福な家庭に生まれ、容姿も地位も持ち、それゆえに他者を「失うもの」として数えたことがない。誰かを傷つけても、自分が失うものはない――そう思い込んでいるから、平然と人を弄ぶことができる。

「失うものがない者は何でもできる」という逆説は深い。通常、「持たざる者」が危険視される。しかし佳男はその逆を突く。「大切なものを持っていない者」こそが、歯止めを失うと言う。

増尾は法に裁かれないが、読者の多くが「増尾の方が悪人ではないか」と感じる。その感情は正しいのか、それとも祐一への同情から来る錯覚なのか――この問いが、本書を読み終えた後も尾を引き続けます。

4. 祐一を「悪人」にした瞬間の描写――加害者の中の被害の根

祐一が佳乃の首に手をかけた瞬間の心理描写は、本書のなかで最も息を呑む部分の一つです。

佳乃は祐一に向かって叫びます。「人殺し!警察に言ってやるけんね!襲われたって!」と。この言葉が祐一の中で何かを引き裂く。

幼い頃、母に置き去りにされた。誰も自分の言葉を信じてくれなかった。今また「加害者」と叫ばれる。「早く嘘を殺さないと、真実の方が殺されそうで怖かった」――この一文が、祐一の暴力の根にあるものを示しています。

これは弁解ではありません。殺人は殺人であり、許されることではない。しかし吉田は、祐一の内側に「理由のなかった暴力」ではなく「傷の蓄積の末の暴発」を丁寧に描く。加害者の側にも、深い被害の根がある――このことは、祐一を免罪するのではなく、「悪人とは何か」という問いをより複雑にします。

作家・井上ひさしは大佛次郎賞の選評でこう書いています。「ケイタイ、車、ラブホテルなどで張り巡らされた欲望の網――これが『いま』の社会が仕掛けている巨大な罠だが、淋しい人たちが、その孤独さから進んでその網に引っ掛かり、たちまち『悪人』へと堕ちていく」と。

悪人に「堕ちる」――この表現は重要です。堕ちる前は、普通の人だった。そういう見方が、本書には一貫して流れています。

5. 「悪人」と断罪することの暴力――マスコミと世間の二次加害

本書に登場する「悪人」は、清水祐一だけではありません。

事件が報道された後、マスコミは容疑者家族のもとに押し掛けます。祐一の祖父母・清水貞夫と房枝の自宅には、連日メディアが殺到する。老人夫婦が自宅に閉じこもらざるを得ない状況になる。この「二次加害」のリアルな描写が、本書のもう一つの批判的まなざしです。

「悪人を叩く」ことで自分は「善人の側」に立てると思っている人々――しかし彼らは「関係のない老人を苦しめる」という加害を行っている。この矛盾を、吉田は断罪せずに提示します。

また、佳乃の同僚たちが「かわいそうな被害者」を演出しながら、生前の佳乃の「自己中心的さ」を密かに確認し合う場面もあります。人は「被害者」の名が付いた途端、その人物を「純粋に哀れむべき存在」として再構成しようとする。しかし実際の人間はそんなに単純ではない。

本書が提示する「マスコミと世間の暴力性」は、SNSが普及した現在、さらに切実なテーマとなっています。誰かを「悪人」と決めつけて、多数の力でつぶす――この行為が「正義」として行われる時代の問題を、2007年刊行の本書はすでに見据えていました。

6. 現代を予言した問い――「悪人」の定義が揺れ続ける時代に

映画『国宝』(2025年公開)の歴史的大ヒットにより、吉田修一への関心が改めて高まっています。そのとき「吉田修一の代表作から読む」なら、まず手に取るべき一冊が本書です。

本書が刊行された2007年は、出会い系サイトによる犯罪が社会問題として注目されていた時期でした。しかし本書が今も読まれ続けるのは、「出会い系の問題を告発した」からではありません。「孤独がどのように人を変えるか」「誰が悪人と呼ばれ、誰が呼ばれないか」という問いが、時代を超えて有効だからです。

あなたの周りにも、「失うものがない人間」はいないでしょうか。法には触れないが、確実に誰かを傷つけている人が。そしてあなた自身は、「悪人」を断罪することで、自分を安全な場所に置いていないでしょうか。

本書を手に取り、最終章を読んだとき、「私が出会った悪人」とは誰だったのかを、自分自身に問いかけてみてください。

Amazon.co.jp: 悪人 新装版 (朝日文庫) 電子書籍: 吉田 修一: Kindleストア
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記事の要約

書誌情報
吉田修一『悪人 新装版』(朝日文庫、2018年7月6日刊、480ページ、ISBN 9784022648938)のNR書評猫レビュー記事。原著は2007年4月朝日新聞社刊行。第61回毎日出版文化賞・第34回大佛次郎賞ダブル受賞。2008年度本屋大賞第4位。累計210万部超(2010年9月17日朝日新聞出版発表、単行本・文庫合計)。2010年、李相日監督・妻夫木聡・深津絵里主演で映画化。深津絵里が第34回モントリオール世界映画祭最優秀女優賞受賞。英訳版『Villain』(フィリップ・ガブリエル訳、米Pantheon Books、英Harvill Secker、2010年)。英ガーディアン紙「強く推薦する」評。

本書の核心
「第一章・第二章・第三章・第四章が全て問いの連鎖」という章立て設計が読者を「悪人とは誰か」という問いの中に置き続ける。法的犯人(清水祐一)と道徳的悪人(増尾・佳乃・マスコミ・世間)が一致しないという構造が本書のテーマを体現する。石橋佳男の「大切な人がおらん人間は何でもできると思い込む・失うものがなければ欲しいものもない」という台詞が法に問われない悪の本質を突く。祐一の「早く嘘を殺さないと真実の方が殺されそうで怖かった」という心理描写が加害者の内側に積み重なった被害の根を示す。井上ひさしが大佛次郎賞選評で「淋しい人たちが孤独さから進んでその網に引っ掛かりたちまち悪人へと堕ちていく」と評した視点。マスコミと世間による「二次加害」の描写が「悪人を断罪する行為の暴力性」を提示する。

本書評の概要
「問いの連鎖」という章立て設計が答えを先送りにする構造を論じる。犯人が早々に明かされる点から本書がミステリではなく「悪人とは誰か」という倫理の問いであることを示す。石橋佳男の名台詞を「失うものがない者の悪」の告発として読む。祐一が佳乃の首に手をかけた瞬間の心理描写から「加害者の中の被害の根」を論じる。マスコミと世間による二次加害の描写を「悪人断罪の暴力性」として論じる。2025年の映画『国宝』ヒットを踏まえた「吉田修一入門書としての本書の位置づけ」で締める。

NR書評猫1602_吉田修一_悪人-新装版

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