1937年のパリ。ドラ・マールは、ピカソが〈ゲルニカ〉を制作する36日間を、カメラで撮り続けました。
2001年のニューヨーク。八神瑤子は、10歳のときMoMAで〈ゲルニカ〉に出会い、生涯を捧げる軸を手に入れました。その後、9.11テロで最愛の夫を失い、それでも「ピカソの戦争」展に本物の〈ゲルニカ〉を呼ぼうとし続けます。
二人は異なる時代に生き、直接出会うことはありません。しかし「〈ゲルニカ〉を愛し、守り、その力を信じる」という一点で、時代を超えて深く呼応します。
原田マハ『暗幕のゲルニカ』は、1937年のパリと2001~2003年のニューヨークを交互に描く二重構造の物語です。その推進力となるのは、この二人の女性――過去パートのドラ・マール(実在の人物)と現代パートの八神瑤子(架空のキャラクター)の存在です。
2017年・第14回本屋大賞第6位。元キュレーターの著者だからこそ描けた「強い意志を持つ女性たちが絵に捧げた人生」を読み解きます。
1. ドラ・マール――「写真家」としてのアイデンティティと「恋人」としての傷
ドラ・マールは、ピカソの「恋人」として語られることの多い人物ですが、本書が描くのは「写真家としての自意識を持つ独立した芸術家」としての彼女です。
シュルレアリスム写真家として独自の活動をしていたドラは、1936年にピカソと出会います。当時のドラはすでに「泥の手」など社会派の実験的写真で注目される存在でした。ピカソが「女性芸術家」として対等に尊重したのは、ドラの持つ知性と芸術性があったからです。
ジョン・リチャードソンが指摘するように、ドラが〈ゲルニカ〉の制作過程を撮影した記録は「近代美術作品の制作を最初から最後まで写真記録した最初の例」であり、後世の美術研究の基礎資料となりました。ピカソは通常アトリエを公開しません。しかし反ファシズムの宣伝として制作過程を公開することを認め、ドラがそのカメラを担いました。
この「制作過程の記録」は、単なる記録行為ではありません。ドラが写真という媒体を通じて〈ゲルニカ〉の誕生に参加した、積極的な創造的関与です。
ドラは〈ゲルニカ〉を撮ることで、自身もその絵の一部となった。
一方でドラは、ピカソの正妻オルガ、別の愛人マリー=テレーズとの関係に傷つく、生身の人間でもあります。「泣く女」のモデルとして、その苦しみが絵に刻まれます。芸術家としての誇りと、恋する女としての弱さ――原田マハはこの両面を丁寧に描き、多くの読者が「ドラ・マールのファンになった」と語るほど魅力的な人物に造形しています。
2. 八神瑤子――「アジア人初の絵画・彫刻部門キュレーター」への道
現代パートの主人公・八神瑤子は、著者・原田マハが「自分の経験を最も色濃く投影した」キャラクターと言えます。
瑤子は10歳のとき、家族でニューヨークを訪れ、MoMAで〈ゲルニカ〉と出会います。「磁石のように引き寄せられた」というその出会いが、瑤子の人生の軸となります。ピカソ研究者となり、MoMAのキュレーターとして働き続け、やがてアジア人初の絵画・彫刻部門キュレーターにまで上り詰めます。
著者・原田マハ自身の経歴との共鳴は明らかです。馬里邑美術館・伊藤忠商事・森美術館設立準備室を経て早稲田大学美術史科に学士入学し、MoMAへの派遣勤務を経験した原田にとって、美術界の専門家として歩んだ道のりが瑤子の像に重なります。
瑤子が直面する現実――美術作品の借用交渉の難しさ、輸送・保険の問題、政治的圧力――これらはMoMAで実際に働いた著者だからこそ書けるリアリティです。「世界一借りにくい絵」と言われる〈ゲルニカ〉を「ピカソの戦争」展に展示しようとする瑤子の奮闘は、美術界の内幕ドキュメントとしても読めます。
3. 9.11の喪失――瑤子が絵に向かい続ける理由
八神瑤子のドラマに深みを加えているのが、9.11テロで最愛の夫・イーサンを失うという設定です。
イーサンは国際的な平和活動に携わっていた人物でした。彼の死は、瑤子にとって「戦争と暴力への個人的な怒り」の具体的な根拠となります。夫の形見は、彼が婚約の証として贈ってくれたピカソの鳩の絵です。
鳩は〈ゲルニカ〉に描かれた鳩と呼応します。〈ゲルニカ〉は絶叫と炎の地獄絵ですが、その中に鳩の像が存在します。一方、ピカソが描いた平和の鳩は、白い翼を広げる希望の象徴です。瑤子の形見の鳩は、この「絶叫の中の鳩」と「希望としての鳩」の両方を体現しています。
夫を失い、平和への願いと戦争への怒りを同時に抱えた瑤子が、〈ゲルニカ〉をニューヨークへ呼ぼうとする理由がここにあります。「剣ではなく、アートの力で戦争に抗う」――それは夫の遺志の継承でもあります。
夫の死という喪失が、絵への向き合い方を変える体験――これは40代の読者にとって、仕事や使命への「なぜ」を問い直す契機として響くかもしれません。「自分がこの仕事を続ける理由は何か」という問いが、喪失の後に初めて明確になることがあります。
4. 「ドラとピカソの別れ」――報われない愛が終わる場面
本書の過去パートで最も哀切な場面の一つが、ドラとピカソの別れです。
ピカソはドラとの関係を終わらせるとき、「好きな絵を一枚持っていっていい」と言います。ドラが選んだのは、飛び立つ鳩を描いた小さな絵でした。
この選択の意味は重層的です。ドラは〈ゲルニカ〉を選ばなかった。あの大作の誕生に立ち会い、撮影し続けた自分でも、〈ゲルニカ〉を「自分のもの」とは感じなかった――ドラにとって〈ゲルニカ〉はピカソの魂の産物であり、世界の財産であり、自分が所有できるものではなかった。
代わりに選んだ「飛び立つ鳩」は、どこか解放の象徴にも見えます。ピカソのもとを離れる自分自身に、飛び立つ鳩を重ねたようにも読めます。
現代パートの瑤子の形見も鳩の絵。ドラが選んだ鳩と、瑤子が受け取った鳩――二つの鳩が二つの時代をそっと縫い合わせる小道具として機能します。原田マハの繊細な構成が、ここに表れています。
絵は「所有するもの」でなく「出会うもの」として存在する。
5. 二人が出会わないことの意味――時代を超えた連帯の構造
本書の最も美しい設計の一つは、ドラと瑤子が「直接出会わない」ことです。
二人は異なる時代を生き、すれ違うことも語り合うこともありません。しかし最終章で、二つの時代の物語が静かに一つに結ばれるとき、読者は「ドラの36日間の記録が、瑤子の闘いを支えた」という感覚を受け取ります。
ドラが撮り続けた写真が美術史の資料となり、研究者が〈ゲルニカ〉の価値を語る根拠となり、やがて瑤子のような人物が〈ゲルニカ〉を愛する理由の一部となる――直接の連帯ではなく、「時間を超えた仕事の継承」として二人は繋がっています。
これは組織における世代継承の本質と通じます。すでに退職したメンバーが残した仕事が、後継者の基盤となり、後継者がそれを次の段階へ進める――直接手渡せなくても、仕事は引き継がれていく。ドラと瑤子の関係は、その最も美しい形です。
読者への問いかけとして、「あなたには、命を賭けてでも守りたい一つの価値があるか。そして、自分が直接その成果を見られなくても、未来の誰かに託せるものがあるか」を投げかけたいと思います。本書の二人の女性は、この問いに対して、それぞれの時代と立場で「ある」と答え続けた人物です。
ぜひ本書を手に取り、ドラ・マールと八神瑤子、時代を超えた二人の物語を追ってください。読み終えたとき、「あなたにとっての〈ゲルニカ〉は何か」という問いが、自然に浮かぶはずです。
記事の要約
書誌情報
原田マハ『暗幕のゲルニカ』(新潮社)のNR書評猫レビュー記事(#1513)。2016年3月刊行。2017年・第14回本屋大賞第6位。「時代を超えた二人の女性の呼応」を軸に、実在の写真家ドラ・マールと架空のキュレーター八神瑤子のドラマを論じる。
本書の核心
「シュルレアリスム写真家という自意識を持つ独立した芸術家」としてのドラ・マールと、〈ゲルニカ〉制作過程を記録した「人類の財産としての写真」の意義。9.11で夫を失った瑤子の喪失が「剣でなくアートで戦争に抗う」という使命を具体化する構造。ドラとピカソの別れで「飛び立つ鳩」が選ばれる場面と現代パートの「形見の鳩」が二つの時代を縫い合わせる小道具としての機能。直接出会わないドラと瑤子が「時間を超えた仕事の継承」として繋がる最終章の設計。
本書評の概要
「泥の手」ほか独自の実験的写真で注目されていたドラのアイデンティティと〈ゲルニカ〉制作記録が「近代美術作品の制作を最初から最後まで記録した最初の例」という美術史的意義、MoMAキュレーターという著者の経歴が支える瑤子の借用交渉・輸送・政治的圧力というリアリティ(キュレーターでなければ書けない内幕)、9.11の喪失が喪失後に「なぜこの仕事を続けるか」が明確になるという40代管理職への示唆、ドラ→鳩→瑤子という小道具の縦断が時代を縫い合わせる繊細な構成、「直接出会わない二人が時間を超えた仕事の継承で繋がる」構造が体現する世代継承論を中心に論じた。

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