学校が太陽なら塾は月——公教育が届かない子どもを照らし続けた600ページの教育大河——森絵都 みかづき

「私、学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になると思うんです。太陽の光を十分に吸収できない子どもたちを、暗がりの中で静かに照らす月。今はまだ儚げな三日月にすぎないけれど、かならず、満ちていきますわ」

森絵都『みかづき』は、この一言から始まります。

語るのは赤坂千明。戦後日本の学習塾業界を半世紀にわたって生き抜いた経営者にして母であり、強烈すぎるほど強烈なヒロインです。彼女がこの言葉を小学校の用務員・大島吾郎に向けたのは、昭和36年のことでした。

そこから物語は、吾郎と千明が立ち上げた「千葉進塾」の興亡と、三世代の家族ドラマを軸に、平成20年代まで半世紀を一気に駆け抜けます。第12回中央公論文芸賞受賞、第14回本屋大賞2位。NHKで高橋一生・永作博美主演でドラマ化もされた、森絵都の集大成と称される大河小説です。

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1. 「太陽と月」――二つの教育が並走する日本社会の構造

本書を貫く中心的な比喩が「学校=太陽、塾=月」という対比です。

太陽は万人を照らします。しかし万人に平等に届くわけではない。日陰に入れば日は当たらない。教室の中で光を受け取れない子がいる。落ちこぼれ、不登校、家庭の事情――公教育が「全員に届く」という建前の裏には、実際には光の届かない子どもたちがいます。

塾という「月」の使命は、その暗がりを照らすことだと千明は言います。月は太陽の代わりにはなれません。ただ、夜の闇の中でも歩けるだけの光を与える。昼間の太陽が届かなかった子が、月の光で少し前へ進める。

この比喩は単なるレトリックではありません。本書の舞台となる戦後日本の教育史においては、学校と塾は常に緊張関係にありました。

高度経済成長期、塾は「受験競争を煽る」として批判の的になります。文部省は塾を学校の「敵」と見なす時代がありました。親たちは我が子を塾に通わせながら、「塾漬けにしていいのか」と自問する。昭和から平成にかけて、日本社会はずっとこの矛盾を抱えてきました。

本書はその矛盾を正面から描きながら、「それでも塾には塾にしかできない教育がある」という命題を600ページかけて証明しようとする作品です。

2. 吾郎の「待つ教育」――瞳の法則と子どもをコントロールしないこと

本書の男性主人公・大島吾郎は、小学校の用務員として働きながら、自然に子どもたちに算数を教えていました。正式な教員免許も、教育学の資格もない。ただ、子どもが何かを理解する瞬間の「顔の変化」が好きで、そのためならいくらでも時間をかけられる人間でした。

吾郎が独自に編み出したのが「瞳の法則」という観察眼です。「勉強ができない子は集中力がない。集中力がない子は瞳に落ち着きがない」。だから吾郎はまず子どもの視線を一点に据えることから始めます。目を定める練習が、集中力を作り、集中力が理解力を生む――という因果の連鎖です。

さらに吾郎の教育観の核心に「待つこと」があります。「子どもたちが自ら答えを導き出すまで、よけいな口出しをせずにじっと待つことができる。簡単なようでいて、多くの教員にはこれができない」という描写があります。

吾郎にとって教育は「与える」ことではなく「引き出す」ことだ。

本書で繰り返し問われる教育哲学の核心が「教育は、子どもをコントロールするためにあるんじゃない。不条理に抗う力、たやすくコントロールされないための力を授けるためにあるんだ」という言葉です。

管理職の視点で読むと、これは「部下育成」の哲学に直結します。成果を出させようとして細かく指示を出し、管理し、コントロールしようとする上司。対して、答えを出す力を引き出すために、あえて「待つ」ことができる上司。吾郎の教育観は、現代のマネジメント論としても鮮烈に機能します。

3. 塾の現代史――津田沼戦争から文部省との歴史的会談まで

本書は教育小説であると同時に、戦後日本の塾業界を内側から描いた「産業小説」でもあります。

著者・森絵都が千葉県市川市発祥の学習塾「市進学院」を取材し、業界の実態を緻密にリサーチした成果が作品全体の骨格をなしています。

1980年代には「津田沼戦争」と呼ばれる、塾同士の生徒・講師争奪の過当競争が勃発します。津田沼という千葉の一地域で繰り広げられた塾業界の生き残り競争は、日本全体の受験戦争の縮図でもありました。

さらに1999年には、文部省と塾業界の歴史的な会談が行われます。長年「学校の脇に立つ怪しげな存在」と見なされてきた塾が、公的な場で教育機関として事実上認められる画期的な転換点でした。

「日本の教育は本当に行き当たりばったりできた」――著者・森絵都はインタビューでこう語っています。偏差値偏重からゆとり教育へ、そしてゆとり教育の見直しへ。国の教育方針が振れるたびに、現場の教師も塾も親も子どもも翻弄される。本書はその翻弄の半世紀を、千葉進塾の視点から精密に記録しています。

40代の管理職にとって、この教育史の記録は自分自身の学校体験と重なる部分が多いはずです。自分が受けた教育は、国のどの方針の時代のものだったか。自分の子が受けている教育は、どんな方針の影響を受けているか。本書を読むことで、自分が生きてきた時代の教育の文脈が見えてきます。

4. 「どんな時代の教育者も悲観している」――ラストのスピーチへの道

本書の構成は、章ごとに約10年の時間が飛ぶ大河構成です。

第1章(昭和36年)から、吾郎視点・千明視点・三姉妹視点と章ごとに語り手が変わりながら、物語は現代へと向かいます。それぞれの時代に、それぞれの課題があります。受験戦争の激化、業界内競争、夫婦の対立、世代間の断絶――どの時代も、教育を取り巻く状況は「うまくいっていない」。

そして物語の終盤、吾郎が語るスピーチに本書の最大のクライマックスがあります。

「どんな時代の教育者も、当世の教育事情を悲観しているが、それでいいのかもしれない。常に何かが欠けている三日月。欠けている自覚があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研鑽を積むのかもしれない」

冒頭で千明が語った「三日月」が、半世紀を経て「欠けているからこそ満ちようとする」という言葉で回収される。「みかづき」というタイトルが、ここで初めて完全な意味を持ちます。

教育に完成はない。だからこそ、人は学び続ける。

この円環構造に気づいたとき、読者は600ページの旅の意味を一気に把握します。本書を読み終えた多くの読者が「読み終えてはじめてタイトルの意味がわかり、余韻が止まらない」と語るのは、このためです。

5. 本屋大賞2位――「蜜蜂と遠雷」と並んだ2016年という年の意味

本書が第14回本屋大賞で第2位を獲得した2017年(対象作品の刊行は2016年)は、大賞が恩田陸の「蜜蜂と遠雷」でした。同年の本屋大賞3位は塩田武士「罪の声」です。

3作を並べると、それぞれが全く異なる「時間の描き方」をしていることが分かります。「蜜蜂と遠雷」はコンクールの数日間に凝縮した現在時制の濃密さ。「罪の声」は昭和のグリコ・森永事件と現代を行き来する二重時間軸。そして「みかづき」は半世紀を一気に俯瞰する大河の縦軸。

三者は全く異なる方法で、それぞれ「時間」を扱っています。そして「みかづき」が半世紀という最も長い時間軸を選んだのは、「教育の成果は一生かけてしか分からない」というテーマに最もふさわしい形式だったからです。

あなたに「月」のような存在はいましたか。学校の光が届かなかったとき、暗がりであなたを照らしてくれた誰かが。本書を手に取り、千明と吾郎が灯した「塾という月」の半世紀を追いながら、ぜひその問いを考えてみてください。

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記事の要約

書誌情報
森絵都『みかづき』(集英社)のNR書評猫レビュー記事(#1509)。2016年刊行。第12回中央公論文芸賞受賞。第14回本屋大賞第2位。NHK土曜ドラマ化(高橋一生・永作博美主演)。昭和36年~平成20年代の戦後日本教育史を学習塾「千葉進塾」の三世代で描く大河小説。

本書の核心
「学校=太陽、塾=月」という対比に込められた「公教育が届かない子を照らす塾の使命」というテーゼ。吾郎の「待つ教育」と「子どもをコントロールしない」教育哲学。ラストの吾郎のスピーチ「欠けているからこそ満ちようとする」によるタイトル回収という円環構造。半世紀の教育行政史(津田沼戦争・文部省との会談・ゆとり教育)を業界内部から描いた産業小説としての骨格。

本書評の概要
「太陽と月」の比喩が示す公教育と塾の二重構造と緊張関係の教育史的意味、吾郎の「瞳の法則」と「待つ教育」が体現する「引き出す」教育哲学とマネジメント論への接続、津田沼戦争・1999年の文部省塾容認・ゆとり教育という業界史の精密な再現、「欠けているからこそ満ちようとする」という吾郎のスピーチによる「みかづき」というタイトルの半世紀後の回収、本屋大賞同年1位の「蜜蜂と遠雷」・3位の「罪の声」と並べた「時間の描き方の三様」論を中心に論じた。IT管理職への架橋として「コントロールせず引き出す部下育成」の哲学を展開した。

NR書評猫1509_森絵都_みかづき

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