「あの部下は問題がある、と判断した後で、後から違う事情を知って判断を悔やんだ経験がある」――管理職として人事評価や採用の場に関わるとき、こんな経験を持つ方は少なくないはずです。表面に見えている「事実」だけを根拠に判断する。しかし後から「そういう背景があったのか」と知ったとき、最初の判断が揺らいでくる。
「事実」と「真実」は、常に一致しているわけではありません。この問いに、元新聞記者の作家が30年をかけて向き合った小説があります。
塩田武士著『存在のすべてを』は、2024年本屋大賞第3位、第9回渡辺淳一文学賞を受賞した作品です。30年前の誘拐事件の真相を追う新聞記者・門田次郎の姿を通じて、本書は「書くこと」の倫理と覚悟、そして人間を正しく見るためには何が必要かを、深く問い続けます。管理職として「人を見る仕事」に日々向き合うあなたに、この小説は特別な問いを投げかけてくれるはずです。
54歳の中年記者が再び立ち上がった理由
物語の主人公・門田次郎は54歳の支局長です。かつては特ダネ(スクープ)を追い求めていたが、今は現役時代の熱量をやや失いかけている。そんな彼が、30年前の「二児同時誘拐事件」を定年後も執念深く追い続けていた元刑事・中澤の死をきっかけに、再びこの未解決事件の再取材に乗り出します。
門田は、横浜の事件現場から滋賀、北九州、そして北海道へ――まるで写実画家が対象の細部を根気よく埋めていくように、日本全国を地を這うように巡ります。デジタルで情報を収集するのではなく、足で稼ぐアナログな取材手法です。コピペと憶測で記事が作られる現代のネットニュースへの、静かな抵抗でもあります。
事実を集めることと、人間を理解することは、同じではない
この認識が、門田の取材を貫く一本の軸です。警察発表や目撃情報という「事実」を積み上げるだけでは、そこに生きていた人間の輪郭は見えてこない。門田は30年前の事件の関係者一人一人と向き合い、その人の人生の文脈の中に事実を置き直していきます。
「なぜこの記事を書くのか」という問い
物語のクライマックスで、門田は事件関係者から正面から問い詰められます。「なぜこの記事を書くのか」と。
門田の答えは、新聞記者のセリフとして、おそらく非常に異例のものです。彼はこう言います。「私はきちんと人間を書きたい。仮に誘拐に加担したとしても、大切に乳歯を取っておくような人たちがいたのなら、彼らを『犯罪者』という先入観で塗り潰したくありません。釈迦に説法ですが、私はこう思うんです。人には事情がある、と」と。
「人には事情がある」――この言葉の重さを受け取るには、文脈が必要です。
誘拐犯の家族として逃亡しながら、被害男児の命を守り続けた野本夫婦。彼らが亮の乳歯を保管していたという事実を門田は知っています。法律的に見れば、彼らは未成年者略取の共犯者です。しかし「大切に乳歯を取っておく」という行為は、誰がどう見ても「親の行為」です。その矛盾を、「犯罪者という先入観で塗り潰したくない」と門田は言います。
この言葉は、著者・塩田武士が記者時代に持ち続けた姿勢の結晶だと思います。
著者の前作と「素数」が変わった意味
著者の前作『罪の声』は、実際に起きた「グリコ・森永事件」をベースにした社会派ミステリーです。その中で、記者の仕事は「事象を素因数分解し、最後に残った素数(本質)を見つけること」と定義されました。
あの作品で事件を割り続けた末に現れた素数は、社会への「怨恨」や犯罪の「悲哀」でした。
しかし本作で、門田が苦悩の末に割り続けた最後に姿を現した素数は、人々が互いを思いやる「情愛」でした。
同じジャーナリズムという行為の果てに、全く逆の素数が現れた
この変化は、著者が本作に込めた最も深いメッセージだと思います。事件を徹底的に取材することで見えてくるものは、「社会の暗部と人間の悪意」だけではない。人間の善意と愛もまた、同じ丁寧さで取材することで見えてくる。
管理職として、これは人材評価や日常のコミュニケーションにも直接関わる視点です。部下の行動を「問題のある行動」として記録していると、その人が「問題のある人材」に見えてきます。しかし同じ行動を「どんな状況でそういう選択をせざるを得なかったか」という文脈の中に置くと、「問題」ではなく「判断」として見えることがある。
「人には事情がある」という門田の言葉は、評価者としての管理職に向けた、最も基本的な人間理解の原則です。
「スクープを捨てる」という最後の選択
物語の最大の緊張は、門田が真相に辿り着いたとき、それを「記事にするかどうか」という選択に向き合う場面です。
世紀の大スクープとなる真相を書けば、記者としての名誉は確固たるものになります。しかし同時に、それは野本夫婦を「未成年者略取誘拐の共犯者」というレッテルで社会的に抹殺し、亮の心の中にある大切な記憶を踏みにじることになります。
「事実を暴くことが、必ずしも関係者を幸福にするとは限らない」――この根源的なジレンマに、門田は誠実に向き合います。
ジャーナリズムの使命は、真実の報道です。それは疑いようのない正義です。しかし、その正義の行使が具体的な人間を傷つけるとき、「正義は何のためにあるのか」という問いが生まれます。
門田が最後に下した選択――スクープという記者の功名心を捨て、ただ一つの真実の愛を守るために選んだ「沈黙と記録」の姿勢――は、ジャーナリズムが持つべき真の品格とは何かを、読者の胸に刻み込みます。
管理職として、同種の緊張を感じることがあります。部下のある行動を上位層に報告すれば、自分の「問題を見落とさない管理職」としての評価が上がる。しかしそれは部下の信頼を壊し、チームの空気を冷やすかもしれない。「正確に事実を伝えること」と「人間関係を守ること」の間で、どちらを選ぶか――この種の判断に正解はなく、「自分はどういう人間でありたいか」という価値観の問いに帰着します。
「人間を書く」覚悟の先にあるもの
本書を通じて著者が示しているのは、「書くこと」の本質的な覚悟です。
事実の羅列で人間を断罪するのではなく、その事実の背後にある複雑な事情と愛を掬い上げること。「犯罪者」というラベルの前に、「人間」を見ること。門田の「人には事情がある」という言葉は、記者に限らず、人を評価するすべての立場の人間に向けられています。
管理職として、「人を見る」という行為の覚悟を持っているかどうか――本書はその問いを、30年に渡る事件取材というドラマを通じて突きつけてきます。
表面に見えている行動の背後には、その人の事情があります。「あの部下はやる気がない」と感じる前に、「なぜそう見えるのか」という問いを立てられるかどうか。その一歩が、管理職としての人間理解の深さを決定的に変えていきます。
本書を読んで、「人には事情がある」という言葉を、ぜひ自分の中に受け取ってみてください。その言葉を持って職場に戻ったとき、見える景色が少し変わっているはずです。
記事の要約
書誌情報
塩田武士『存在のすべてを』(朝日新聞出版、2024年)のNR書評猫レビュー記事。2024年本屋大賞第3位、第9回渡辺淳一文学賞受賞。
本書の核心
誘拐事件の真相を30年後に追う新聞記者・門田次郎の葛藤を通じて、「事実を暴くことが必ずしも人間を幸福にするわけではない」というジャーナリズムの根源的ジレンマと、「人には事情がある」という人間理解の原則を描く。前作「罪の声」で割り出した素数が「悪意」だったのに対し、本作の素数は「情愛」という逆転が、著者の30年間の取材による変化を示す。
本書評の概要
「事実」と「真実」は一致しないという命題を管理職の日常的な人事評価・コミュニケーション問題と接続して論じる。スクープを捨て人間の愛を守る門田の選択から「正義は何のためにあるか」という問いを提示。「人には事情がある」という原則を人材評価の基本姿勢として提案し、「表面の行動の背後に事情を探る」一歩が管理職の人間理解を変えるという実践的提言で締める。

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