「もっと予算があれば」「もっと人手があれば」「もっと権限があれば」……。管理職になってから、そんな言葉が頭をよぎるようになっていませんか? 部下を動かそうとするたびに制約の壁にぶつかり、「こんな状況でどうにかしろというのか」と途方に暮れた経験は、きっとあなただけではないはずです。
ところが、世界には資金も人員も不十分な「めちゃくちゃな状況」でも、圧倒的な結果を出し続けている人や組織が存在します。彼らが持つのは、潤沢なリソースではありません。制約そのものを武器に変える思考法です。
パウロ・サバジェ著、NewsPicksパブリッシング刊の『どうにかする』は、そのような「泥臭くどうにかする」思考法の本質を体系化した一冊です。オックスフォード大学准教授であり、ケンブリッジ大学でゲイツ奨学生として博士号を取得した著者が、世界中の現場を数年かけてフィールドワークした成果が詰まっています。今回は本書の中でも特に心に響く「スクラッピーなマインドセット」に焦点を当て、その本質をお伝えします。
制約に嘆くリーダーが信頼を失う理由
昇進したばかりの中間管理職が最初に感じる壁は、「自分には思ったより権限がない」という現実ではないでしょうか。予算の決定権はない、メンバーの人事権も限られている、経営の方針にも口出しできない……。そんな状況で「どうにかしてくれ」と上からは言われ、「環境が整っていない」と下には思われる。板挟みの状況が続くと、人はついこう考えてしまいます。「もう少し条件が整ったら、本気でやれるのに」と。
本書でサバジェが最初に問いかけるのは、まさにこの思考パターンの危うさです。彼が調査したのは、豊富な資金を持つ多国籍企業ではありませんでした。ザンビアの辺境でわずか2人のスタッフで医療ネットワークを構築したNPO、パンデミックの最前線で医療崩壊を防いだブラジルの地方政府……。彼らに共通するのは、「欠乏を言い訳にしない」姿勢です。
逆に言えば、制約を嘆き続けるリーダーは、部下から見ると「守ってくれない人」に映ります。「この人も状況のせいにしている」と感じた瞬間、部下の心は静かに離れていくのです。
「スクラッピー」という言葉に込められた思想
本書のサブタイトルには「めちゃくちゃな状況で圧倒的な結果を出している人と組織の思考法」とあります。著者はこうした人や組織を「スクラッピーな組織」と呼びます。スクラッピーとは、直訳すると「闘志あふれる」「切れ端からでも何かを作り出す」という意味です。
日本語にはこの言葉にぴったりな訳語がなかなかありませんが、あえて一言で言うなら「泥臭くどうにかする気概」とでも言えるでしょうか。その泥臭さと知性の合わせ技こそが、スクラッピーという概念の核心です。大企業が潤沢なリソースと正攻法で動く一方、スクラッピーな組織はコンピューターハッカーのように既存のシステムの隙間や余剰を見つけ、それを巧みに自分たちの目的のために流用します。
つまり「スクラッピー」とは、貧乏くさいとか、やぶれかぶれという意味ではありません。限られた条件をゲームのルールとして受け入れ、その中で最高の手を考え続ける知性と意志のあり方を指しています。
制約を「武器」に変えた3つの事例
本書に登場する事例は、いずれも頭を殴られるような鮮烈さがあります。
最も印象的なのが、ザンビアのNPO「ColaLife」の話です。ザンビアの農村部では、安価に手に入るはずの下痢治療薬が届かないために、多くの乳幼児が命を落としていました。インフラを整備するには莫大な費用と時間がかかります。しかし彼らには2人のスタッフしかいませんでした。そこで着目したのが、どんな僻地にも確実に届いているコカ・コーラの配送網です。治療薬のパッケージを、コカ・コーラの瓶と瓶の隙間に収まるくさび形にデザインし直し、飲料の流通に「便乗」させたのです。結果、治療薬の普及率は1%未満から50%超へと劇的に向上しました。
また、新型コロナウイルスのパンデミック初期、ブラジルの最貧州のひとつであるマラニョン州では、人工呼吸器の国際調達が差し押さえにより次々と失敗していました。元裁判官である州知事は、「政府として直接輸入する」という正攻法ではなく、地元スーパーや鉱山会社の購買ルートを経由して輸入し、それを州政府に「寄付」させるという迂回路をとりました。これは法律の字義を破ることなく、制度的な障壁を巧みに回避した技です。
そしてインドのデリーでは、男性の路上立ち小便という慢性的な問題が、いくら罰則を設けても改善されませんでした。地域住民が取った解決策は、壁にヒンドゥー教の神々のタイルを貼ること、ただそれだけです。法律でも啓発でもなく、文化的なタブーを環境に埋め込んだことで、行動が一変しました。
3つに共通しているのは、自前でゼロから解決策を作らなかったことです。既存のシステム、既存のルール、既存の文化。すべてを「所与の条件」として受け入れた上で、そこに隙間を見出し、自分たちの目的のために流用しています。
スクラッピー思考を支える4つのマインドセット
著者のサバジェは、これらの「どうにかする技術」を支えるマインドセットとして4つを挙げています。
第一に「執着」です。リソースが不足しているからこそ、何に集中するかを絞り込む必要があります。あれもこれも、ではなく、何ひとつ譲れない核心を定め、それ以外を大胆に切り捨てる。その執着がエネルギーを一点に集中させます。
第二に「しなやかさ」です。カオスの中では計画通りに行かないことが当たり前です。予想外の壁に当たっても、嘆くのではなく、方針を柔軟に転換し続ける強靭さが求められます。
第三に「巻き込む力」です。自分だけで戦おうとしないことが鍵です。利害が必ずしも一致しない相手であっても、うまくインセンティブを設計して仲間に引き込む。前述のコカ・コーラの流通網の活用も、まさにこの発想から生まれています。
第四に「泥臭さ」です。完璧な解決策を待つのをやめ、今あるもので動き始める。これを著者は「次善策」と呼びます。サバジェ自身がメールの送信予約機能を使って多忙な上司の受信トレイの最上部に早朝にメールを配置した、という逸話がこれを象徴しています。洗練された手法ではありませんが、手元にあるもので確実に動かしたのです。
中間管理職こそスクラッピー思考が活きる
ここで少し立ち止まって考えてみてください。中間管理職という立場は、実は本書が描く「スクラッピーな状況」そのものではないでしょうか。
上からは目標を課され、下からは現場の声が届き、自分には大きな権限はない。予算は限られ、人手も不足している。こんな「めちゃくちゃな状況」を、正攻法だけで突破しようとすれば、必ず壁に阻まれます。一方、スクラッピーな思考法を持つマネージャーは、同じ条件の中でも違う動き方をします。
たとえば「部下が動いてくれない」という悩みに対して、スクラッピーな発想はこう問いかけます。「命令せずに、部下が自然と動きたくなる環境を、今ある材料でどう作れるか?」と。既存の会議の構造を少し変えるだけで、発言しやすい雰囲気が生まれることがあります。評価の基準を少し明示するだけで、部下の行動が変わることがあります。制度やルールを待つのではなく、今すぐ手を動かせる工夫に目を向ける姿勢が、チームの信頼を少しずつ積み上げていきます。
また「プレゼンが通らない」という悩みに対しても、スクラッピーな思考は役に立ちます。決裁者の承認を得るために正面から資料を用意するのではなく、承認プロセスの「抜け穴」や「タイミング」を探ることが突破口になることがあります。どの会議体なら動きやすいか、誰を巻き込めば話が進みやすいか。これはズルではなく、組織という複雑なシステムをハックする知性です。
「制約があるからこそ」というパラダイムシフト
本書を読み終えたとき、「めちゃくちゃな状況」への見方が変わります。制約は克服すべき障壁ではなく、自分だけの解決策を生み出す出発点だという感覚が芽生えます。
豊富なリソースがあれば、誰でも同じ正攻法を取れます。しかしリソースが少なければ少ないほど、創意工夫が必要になり、その工夫こそがオリジナリティを生みます。著者は「スクラッピーな組織から、かつて彼らを教導していた大企業が学ぶ時代が来ている」と述べています。
管理職として部下の信頼を得たいなら、「環境が整うのを待つ」上司ではなく、「今ある材料でどうにかする」上司になることが、最短の道かもしれません。部下は、計画通りに動けるリーダーよりも、計画が崩れたときに柔軟に動けるリーダーを信頼する傾向があります。
「予算も人も足りない」という口癖が、この一冊を読んだあと、「さて、今あるもので何ができるか」という問いへと変わるとしたら、それはひとつの大きなパラダイムシフトです。本書はその転換を、世界中の泥臭い事例を通して、静かに、しかし確実に後押ししてくれます。ぜひ手に取ってみてください。

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