「部下に優しくしたいのに、つい厳しく当たってしまう」「最初はていねいに接するのに、時間が経つとつい冷たくなってしまう」そんな自分に、罪悪感を抱いたことはありませんか。でも、もっと辛いのは、そんな自分が周囲から嫌われているのではないか、評価を下げているのではないかという不安が、いつまでも消えないことかもしれません。
稲垣諭氏の『やさしいがつづかない』は、やさしさという感情の本質を哲学的に解き明かす一冊です。本書は、やさしさが続かないことで自己嫌悪に陥る人々に対し、その構造を冷静に分析し、実践的な処方箋を提示します。今回は、本書が指摘する「やさしさは続かないのに、憎しみや嫌われる不安は続く」という非対称性について深く掘り下げます。
やさしさが続かないのは当たり前
本書の最も重要なメッセージのひとつが「やさしさは続かなくて当然」という前提です。私たちは、やさしくあろうとする気持ちが続かない自分を責めがちですが、著者はそれが人間の構造上、避けられないことだと説きます。
やさしさとは、自分のコントロール権を相手に委ね、その結果生じる責任を引き受ける行為です。つまり、やさしさは自分の身を削る勇気のいる行為なのです。それが簡単に長続きしないのは、むしろ自然なことだと言えるでしょう。
この視点は、マネージャーとしての役割に悩む方にとって、大きな救いとなります。部下に対して常に優しく、寛容であり続けることを自分に課すのではなく、一回きりの親切や配慮でも十分に価値があると認識することで、自己嫌悪から解放されるのです。
なぜ嫌われる不安は消えないのか
やさしさが続かない一方で、嫌われることへの恐れや、誰かへの憎しみは驚くほど長続きします。本書では、この非対称性を「やさしさと憎しみの持続性の違い」として論じています。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、嫌いな人の不幸を望むことを「悪意」と呼びました。しかも、そいつが不幸になるのであれば、たとえ自分が損をしてもかまわないぐらいのパワーがあるというのです。この怒りや憎しみの持続性の高さは、古代から一緒だったのです。
現代のSNS上での炎上やスキャンダル報道への熱狂を見れば、この指摘の正しさは一目瞭然です。やさしさが他人にコントロール権を渡すことであるなら、悪意は他人のコントロール権を奪おうとすることです。そして、そのときの方便として「ズルいやつらを罰するだけ」という論理が使われてきました。
職場においても、一度「嫌いだ」「合わない」と感じた相手への感情は、なかなか消えません。そして、その感情を抱いていること自体が、さらなる自己嫌悪を生んでしまうのです。
嫌われる不安が生まれる理由
本書が指摘する重要な点は、憎しみや悪意が生まれる理由です。それは「自分だけが損をしている」という感覚からくるものです。
卑怯なやつらを許しておけないという怒りが栄養となってしまいます。これは組織の中でも同じです。不透明な評価基準、不公平な業務分担、見えない報酬体系――こうした状況が人々の不公平感や敵意を生むのです。
例えば、炎天下で熱中症になりながら働く人よりも、でっかいビルの涼しいオフィスでコンサルやっているような連中が何倍も給料がいいとなったら、憎しまずにはいられません。これは極端な例かもしれませんが、職場での小さな不公平感の積み重ねが、慢性的な不満や対人関係のストレスを生んでいることは確かです。
嫌われる不安との向き合い方
では、この「嫌われる不安」や「憎しみの持続」とどう向き合えばいいのでしょうか。本書は、憎しみを無理に捨てよと説教するのではなく、誰も損をしていないという状況を作り出すことが重要だと示唆しています。
具体的には、社会の透明性や公正さを高めることです。労働量と給与額を見える化すれば、みんな、そんなもんかと腑に落ちると著者は述べます。もらい過ぎだろと非難される人はもらい過ぎなのです。そこは給料を下げれば丸く収まります。
組織のマネージャーとしてできることは、評価基準を明確にし、業務分担の理由を説明し、できる限りの透明性を確保することです。これにより、メンバーの不公平感を減らし、結果として対人関係の緊張を和らげることができます。
マイクロ・カインドネスという希望
本書が提案する実践的な解決策が「マイクロ・カインドネス」です。これは、一回きりのちょっとした親切のことを指します。やさしさは続かないという前提に立ち、24時間365日やさしい人はいられないと割り切ることが必要です。
だとすると、ちょっとした親切ができるだけでも凄いことなのです。重い荷物を持つ人に玄関先でドアを開けてあげた、仕事で忙しい同僚にコーヒーを一杯差し入れした――こうした小さな行為でも、相手の喜びは確実に増し、自分の自己肯定感も高まります。
職場においても、部下の小さな成果を認める、ちょっとした気遣いの言葉をかける、困っている時に声をかける――こうしたマイクロ・カインドネスの積み重ねが、実は人間関係の質を大きく変えるのです。
憎しみが続くことの方が問題
本書の結論は、やさしさが続かないこと自体は大した問題ではないということです。それよりも、憎しみが続いてしまうことの方がよほど厄介であり、それを和らげるにはどうすべきかを考えなくてはならないと提言します。
この視点の転換は重要です。私たちはつい「もっと優しくならなければ」「もっと寛容にならなければ」と自分を責めがちですが、実は「憎しみをどう和らげるか」「不公平感をどう減らすか」という方向に意識を向けるべきなのです。
マネージャーとして、チーム内の憎しみや不満の芽を早めに摘み取ること、不公平感を生む構造を改善することこそが、実は最も効果的な「やさしさ」の実践なのかもしれません。
やさしさの非対称性を理解する
本書の洞察は、人間関係の本質を鋭く突いています。やさしさは続かないのに、憎しみや嫌われる不安は続く――この非対称性を理解することで、私たちは自己嫌悪から解放され、より現実的な人間関係の構築が可能になります。
完璧なやさしさを追求するのではなく、小さな親切を積み重ねること。憎しみを無理に捨てようとするのではなく、憎しみが生まれにくい構造を作ること。こうした実践的な視点こそが、稲垣氏が本書で伝えたかったメッセージなのでしょう。
『やさしいがつづかない』は、人間関係に悩むすべての人、特にチームをマネジメントする立場にある方にとって、新たな視点と実践的なヒントを与えてくれる一冊です。やさしさの本質を理解し、より健全な人間関係を築くために、ぜひ手に取ってみてください。

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