「相手を知り尽くす者が動かせる」——野宮有『殺し屋の営業術』が教えるペルソナ理解の力

「なぜあの部下にはうまく伝わらないのだろう」と首をかしげたことはありませんか。同じ言葉を使っているはずなのに、ある人には刺さり、別の人にはまるで届かない。会議での提案も、資料の完成度より「誰に届けるか」を考えていなかったせいで、的外れな印象を残してしまうことがあります。

伝えることの難しさは、多くの場合「何を言うか」ではなく「誰に言うか」を理解していないことから生まれます。相手がいま何を感じ、何を恐れ、何を切実に求めているのか――そこを捉えていない言葉は、いくら丁寧に包んでも空気を切るだけです。

野宮有の小説『殺し屋の営業術』には、そのことを極限の形で示す場面があります。主人公の殺し屋は、SNSの愚痴アカウントやあらゆる情報源から「本気で依頼を検討しており、かつ高額な支払い能力を持つペルソナ」を精密にプロファイリングし、その人物だけにピンポイントで接触します。相手を知り尽くすことが、動かす力の源泉であると本書は教えています。

Amazon.co.jp: 殺し屋の営業術 (Audible Audio Edition): 野宮 有, 外崎 友亮, Audible Studios: Audibleオーディオブック
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ペルソナを知らない言葉は届かない

営業の世界では「ターゲティング」という言葉が当たり前のように使われます。しかしこれは、営業や広告だけの話ではありません。部下への指示、上司への提案、家族との対話――すべてのコミュニケーションは、相手のペルソナを把握しているかどうかで成否が変わります。

本書の主人公は、接触する前にまず相手を徹底的に知ることに多大な労力を注ぎます。依頼を検討しているであろう人物が、いまどんな状況に置かれ、何に苦しみ、どんな解決を求めているのかを事前に把握しておくことで、接触した瞬間に「この人は私のことを分かっている」という感覚を生み出すのです。これがデジタルマーケティングで言うペルソナ設計の核心です。

管理職としての日々の対話においても、この発想は直接応用できます。部下の一人ひとりが何を大切にし、何を恐れているのかを知らずに、同じマニュアル通りの言葉をかけ続けるのは、標的を絞らずに全方位へビラを撒くようなものです。

部下一人ひとりの「内側」を読む技術

昇進したばかりの管理職が最初につまずくのは、往々にして「部下はみんな同じように動くはずだ」という思い込みです。しかし現実には、承認欲求が強い部下、安定を求める部下、裁量を欲しがる部下、そして感情ではなくロジックで動く部下――それぞれがまったく異なるペルソナを持っています。

本書の殺し屋が依頼候補者の一人ひとりを丁寧にプロファイリングするように、管理職にとって部下のペルソナを把握する作業は、信頼関係の基盤をつくる最初の投資です。具体的には、面談の場だけでなく、ランチのひとことや、業務メールの行間に滲む感情を注意深く読むことが出発点になります。

相手の内側を知る者が、適切な距離感と言葉を選べます。

それは管理者としての権威からではなく、相手への深い関心から生まれる信頼です。

プレゼンの説得力は「誰に届けるか」の設計で決まる

プレゼンテーションの準備をするとき、スライドのデザインや話す順序に時間をかける方は多いでしょう。しかし、「この場にいる人たちは何を気にしているのか」という問いを立てている人は意外に少ないものです。

上司がコストを気にしているなら、提案の冒頭でROIを示す。リスク回避を重視する役員がいるなら、失敗シナリオとその対策を先に語る。意思決定者の価値観と関心をあらかじめ把握しておくことで、プレゼンは同じ内容でも「刺さるもの」に変わります。

本書の主人公が接触前のプロファイリングに惜しみなく時間を投じるのは、その後のコミュニケーションを最短距離で成立させるためです。プレゼンもまったく同じ構造を持っています。準備時間の一部を「相手を知ること」に充てるだけで、伝わり方は大きく変わります。

「愚痴」の中にこそ、相手の本音がある

本書では、依頼候補者を見つける手がかりとして、SNSの愚痴アカウントが挙げられています。表向きの言葉よりも、何気なくこぼれ出た不満の言葉の中にこそ、その人の本当の切実さがあるという発想です。

これは管理職にとっても示唆に富む視点です。部下が会議でなかなか発言しないのに、休憩時間に同僚に「あの仕事のやり方、おかしくないですか」とつぶやいているとしたら――そのつぶやきの中に、本人が言語化できていない悩みや改善の種が眠っています。

日常の何気ない言葉に耳を澄ます習慣は、部下との関係を一段深くします。正式な面談よりも、廊下の短い会話の方が相手の本音に近いことが往々にしてあります。聞き流していた言葉を拾い直すことが、ペルソナ理解の実践的な第一歩です。

家族との対話も「相手のペルソナ」から始まる

在宅勤務が増え、家族と過ごす時間が長くなった方も多いでしょう。しかし、時間が増えたからといって会話の質が上がるとは限りません。むしろ、「相手が何を求めているのかを考えずに言葉を投げかけ続ける時間」が増えると、かえってすれ違いが積み重なることもあります。

妻がいま何を大切にし、何に疲れているのかを知らずに、仕事の論理でものを言えば会話はかみ合いません。子どもがいまどんなことに悩み、何に喜びを感じているのかを知らずに、親の価値観だけで接すれば関係は遠ざかります。

本書の殺し屋が接触する前に相手のペルソナを丁寧に把握するように、家族との対話においても「いまこの人は何を感じているのか」という問いを先に立てる習慣が、コミュニケーションの質を変えていきます。

知ることから始まる、すべての信頼関係

本書がビジネス書としても読まれる理由のひとつは、相手を深く知ることへの徹底した敬意が、物語全体を貫いているからです。殺し屋という極端な職業を通して描かれているのは、相手を「類型」としてではなく「個」として捉える姿勢の重要性です。

管理職として、プレッシャーや慌ただしさの中で「部下」「上司」「家族」といった類型でしか相手を見られなくなる瞬間は誰にでもあります。そんなときこそ本書の主人公を思い出してください。彼は誰よりも時間をかけて相手を知ることから仕事を始めます。

知ることが動かす力の源泉です。そしてその力は、業績数字よりも、相手への丁寧な関心から生まれるのです。

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NR書評猫1423_野宮有_殺し屋の営業術

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