「最近、部下の言動が少し変わった気がする。でも何が変わったのか、うまく言葉にできない……」そんな違和感を覚えたことはないでしょうか。あるいは、自分自身が「なんとなく以前と判断の仕方が変わったかもしれない」と感じる瞬間はないでしょうか。人間の思考や価値基準は、劇的なできごとではなく、日常的に浴び続ける情報の積み重ねによって、静かに、確実に変容していきます。
朝井リョウの本屋大賞2026受賞作『イン・ザ・メガチャーチ』(日経BP)の中で、最も現代的な恐怖として描かれているのが、このアルゴリズムによる思考の書き換えです。最初はごく普通の視聴者として番組を楽しんでいた登場人物たちが、運営の提供するコンテンツを追い続けるうちに、気づけば自分の時間と財産のほとんどを「推し」に捧げるようになっていく過程は、現代の情報環境が持つ洗脳的なメカニズムとほぼ同じ構造を持っています。
IT企業で働く管理職として、この問いは切実なはずです。部下の思考はマネジメントのあり方に影響されます。会議の進め方、情報の共有の仕方、評価の伝え方――そのすべてが、チームの「思考の枠組み」を少しずつ塗り替えていきます。本作はその塗り替えのメカニズムを、アイドルオーディションという極端な舞台を使って、鮮明に見せてくれます。
人の判断基準は、なぜ気づかないうちに変わるのか
心理学に「デフォルト効果」という概念があります。繰り返し接触する情報や環境が、やがて「当たり前」として内面化され、それを基準に新しい情報を判断するようになるという現象です。最初は「少し多いかな」と思っていた課金額が、コミュニティの平均に引っ張られてやがて「普通」に見えてくる――本作の登場人物が経験するのは、まさにこのデフォルト効果の連続です。
現代のプラットフォームは、このプロセスを加速させるように設計されています。ユーザーが関心を持ったコンテンツをアルゴリズムが学習し、より多くの関連情報を供給することで、ユーザーはその情報環境の中に長くとどまります。気づかないうちに、アルゴリズムが提示する「世界の切り取り方」が、自分の視野の全体として認識されるようになっていきます。
本作はこのプロセスを、時間軸を丁寧に追いながら描きます。ある登場人物が「ちょっと気になる」から始まり、「毎日確認しないと落ち着かない」に変わり、やがて「この人たちの幸せのために何でもできる」に至るまでの変化は、急激ではありません。だからこそ、本人には変化が見えにくいのです。
「洗脳」は特別な場所で起きるのではない
洗脳というと、隔離された場所で特殊な手法を使って行われるものというイメージがあります。しかし本作が示すのは、現代の洗脳は日常の情報環境の中で、むしろ快適なかたちで進行するという事実です。
強制や恐怖ではなく、楽しさや共感や連帯感を通じて価値観が書き換えられる――これはソフトな影響力として侮りがちですが、その分だけ気づきにくく、抵抗しにくいという意味でより深刻です。本作の中で、運営が提供するコンテンツは一貫して「感動的」で「熱量があり」「仲間意識を刺激する」ものとして設計されています。視聴者はその快適さの中で判断を預け、やがて判断そのものの基準が変わっていきます。
現代のSNSやニュースフィードも同じ論理で動いています。ユーザーが心地よく感じるコンテンツを優先的に表示することで、特定の世界観が強化され、反対意見が自然に遠ざかっていきます。本作を読んだとき、スマートフォンを手に取る自分の習慣が、少し違う角度から見えてくるはずです。
職場における「情報環境の設計」という管理職の責任
アルゴリズムによる思考の書き換えを職場の文脈で考えると、管理職の役割が新しい意味を持ちます。チームに流れる情報の質と量、会議での発言が許容される範囲、評価される行動パターン――これらすべてが、チームメンバーの「思考の基準」を形成する情報環境として機能しています。
管理職が「こういう考え方が正しい」と繰り返し発信し続ければ、チームはやがてその枠組みで考えるようになります。これはリーダーシップとして機能する一方で、多様な視点や創造的な発想が育ちにくい環境を生む可能性もはらんでいます。意図せず、チームに単一の「アルゴリズム」を植え付けることになりかねないのです。
部下から信頼される上司になるためには、自分の発信が「正解の供給」にならないよう意識することが大切です。「どう思う?」「別の見方はないか?」という問いかけを習慣にすることが、チームの思考基準を多様に保つための小さくて確実な工夫になります。
プレゼンと「物語」の供給が持つ、同じ構造
本作を読んでいると、プレゼンテーションについての見方も変わります。相手に何かを伝え、動かそうとするプレゼンは、ある意味で「物語の供給」です。感情に訴えるエピソード、数字で示す説得力、共感を引き出すコンテキスト――これらを組み合わせて相手の判断基準に働きかけることが、プレゼンの本質です。
本作の運営側が行っていることと、プレゼンが行っていることは、構造的に隣り合っています。違いは、相手の利益を誠実に考えているかどうか、そして情報を透明に伝えているかどうかです。本作の運営は、ファンの感情を最大化することを目的に情報を設計し、その設計の存在をファンには知らせません。誠実なプレゼンは、相手が情報に基づいて自分で判断できることを目指します。
プレゼンで思うように相手に伝わらないと感じるとき、問うべきは「どう伝えるか」だけでなく「相手が自分で判断できる情報を渡せているか」かもしれません。本作はその問いを、娯楽の外皮の下に静かに埋め込んでいます。
自分の思考が「書き換えられていないか」を確かめる方法
本作を読んで最も実践的に活かせるのは、自分自身の思考の変容に気づく視点を持つことです。「最近、以前なら気になっていたことが気にならなくなった」「当たり前だと思っていることが、いつからそう感じるようになったかわからない」――そういった感覚が生じたとき、それは思考基準が書き換えられているサインかもしれません。
具体的な方法として有効なのは、異なる情報源に意識的に触れることです。読む媒体を変える、異なる立場の意見を持つ人と話す、慣れ親しんだコミュニティの外に出る――こうした行為は、単なる情報収集ではなく、自分の判断基準のキャリブレーション(再調整)として機能します。
本作の著者・朝井リョウが「視野」というキーワードを重視するのは、この点と深く結びついています。ひとつの情報環境に長くとどまることで視野が狭まるとき、それに気づくことができるのは、外部の視点だけです。本を読む、旅に出る、関係のない人と話す――そういったアナログな行動が、デジタル時代において最も有効な「思考のリセット」になるのは、本作が教えてくれる逆説的な真実です。
「気づけなかった」で終わらせないために
本作が描く思考の書き換えのプロセスは、登場人物が愚かだったから起きたのではありません。知的で、誠実で、善意を持った人間が、気づかないまま価値基準を変えていくからこそ、この小説は恐ろしく、そして普遍的です。
「自分は大丈夫」という確信こそが、最も危うい状態のサインであることを、本作は静かに示しています。アルゴリズムに思考を書き換えられないためには、思考が書き換えられうるという事実を、常に頭の片隅に置き続けることが出発点です。
40代の管理職として、部下との信頼関係を育て、家族との対話を大切にしながら生きていくうえで、この問いは今後ますます切実になっていきます。情報が人の思考を形成する速度が上がり続ける時代に、本作はその構造をあざやかに描いた、時代の証言として長く読まれ続けるでしょう。

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