「救われているのか、逃げているのか」——朝井リョウ/イン・ザ・メガチャーチ/エンパワーメントと依存の表裏一体

「最近、部下が仕事に前のめりになってくれている。でも、なぜかどこか心配な気もする……」そんな感覚を覚えたことはありませんか?人が何かに深くのめり込む姿は、傍から見れば頼もしいことのように映ります。ところがその熱量が「逃げ場」から生まれていた場合、ある日突然、ポキリと折れてしまうことがあります。

朝井リョウの本屋大賞2026受賞作『イン・ザ・メガチャーチ』(日経BP)は、アイドルオーディション番組を舞台にした長編小説です。本作の登場人物のひとり、大学生の澄香は、日々の心労や実存的な不安を抱えながら、アイドル応援という行為に少しずつ深くのめり込んでいきます。最初は自分を癒やすための「救済」だったはずの行為が、いつしか自己を見失うほどの依存へと変質していくその過程は、読む者に静かな恐怖を覚えさせます。

これは澄香だけの話ではありません。仕事への過剰な没入、SNSへの依存、家族や趣味への逃避――私たちの日常にも、「エンパワーメント」と「依存」の境界線は薄く広がっています。その境界をどこに引き、どう見極めるか。本作はその問いを、40代の管理職として部下を支え、家族と向き合うあなたに、静かに投げかけてきます。

Amazon.co.jp: イン・ザ・メガチャーチ (日本経済新聞出版) 電子書籍: 朝井リョウ: Kindleストア
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「のめり込む」ことは、なぜこんなにも気持ちいいのか

物語に熱中する、推しを応援する、仕事に没入する――これらの行為がもたらす充実感には、心理学的な裏付けがあります。人は何かに深く関与することで「自分には意味がある」「自分はここに属している」という感覚を得ます。これはエンパワーメント、つまり自己効力感と承認欲求が同時に満たされる体験です。

澄香にとって、アイドル応援という行為はまさにそれでした。毎日の人間関係の摩耗、将来への漠然とした不安、自分が何者かわからない苦しさ――そういった現実の複雑さに比べて、推しを応援するコミュニティの中では、役割が明確で、努力が数字として見え、仲間との連帯も得られます。「現実よりもここの方が生きやすい」という感覚が生まれるのは、ごく自然なことだといえます。

問題は、この「生きやすさ」がいつしか「ここ以外では生きられない」に転化していく点です。エンパワーメントと依存は、同じ行為から生まれながら、まったく異なる結末をたどります。その分岐点を見分けることが、澄香の物語を通じて本作が問う核心です。

自己防衛機制が「盲目」に変わる瞬間

心理学では、過剰な没入を「回避型コーピング」と呼ぶことがあります。現実の苦痛を直視するかわりに、別の対象に意識を集中させることで痛みを一時的に和らげる戦略です。これ自体は人間が持つ賢明な適応能力のひとつです。

しかし本作が描くのは、この適応能力が長期化したときに何が起きるかです。澄香は最初、応援という行為を通じて自分を守っていました。ところが没入が深まるほど、推しに関わらない現実の出来事への関心が薄れ、視野が狭まっていきます。著者の朝井リョウがインタビューで「視野」をキーワードとして挙げているのは、まさにこのプロセスを指しています。

視野が狭まると、自己判断の基準も変化します。かつては「少し使いすぎかな」と気になっていた出費が当たり前になり、「この人は本当にわかっていない」と周囲を見下す感覚が生まれ、推しへの批判を攻撃として受け取るようになる。それは段階的に、静かに進行します。気づいたときには、かつての自分の判断基準は、どこかに消えてしまっています。

「救済」と「依存」を隔てる、たった一つの問い

では、エンパワーメントと依存の境界はどこにあるのでしょうか。本作を読みながら浮かぶのは、ひとつのシンプルな問いです。「その行為は、現実の自分を強くしているか、それとも現実から遠ざけているか」――この一点に尽きます。

読書でも、スポーツでも、趣味でも、仕事でも、それに没入することで現実世界での判断力が磨かれ、人間関係が豊かになり、自己認識が深まるなら、それはエンパワーメントです。反対に、没入することで現実の不快から目が逸れ、本来向き合うべき問題が先送りにされ、その行為がなければ機嫌が保てなくなるなら、それは依存です。

澄香の変化は、後者のプロセスとして丁寧に描かれます。彼女の推し活が深まるほど、現実世界の人間関係が薄くなり、家族との会話が減り、大学の授業への意欲が失われていきます。本作はその変化を責めるのではなく、淡々と、しかし確実に描写します。だからこそ、読者は澄香の姿に自分自身の何かを見てしまうのです。

部下の「熱量」を見るとき、管理職が問うべきこと

40代の管理職として部下を持つ立場から本作を読むと、澄香の物語は職場の風景と重なってきます。仕事への没入を「やる気がある」と捉えるか、「逃避している」と捉えるかは、その背景を知らなければ判断できません。

深夜まで残業を続ける部下、休日も仕事のことを考えている部下、チームのために自分を犠牲にすることを厭わない部下――そのエネルギーの源泉が「仕事そのものへの喜び」から来ているなら、それは本物のエンパワーメントです。しかしもしそれが「家に帰りたくない」「プライベートに向き合いたくない」「仕事以外に自分の居場所がない」という逃避から来ているなら、その熱量は砂上の楼閣です。

部下の熱意を正しく育てるには、その根っこを丁寧に見ることが必要です。本作の澄香が必要としていたのは、熱狂を否定することではなく、「あなたは今、どこから来ているの?」と問いかけてくれる存在でした。信頼される上司になるとは、そういう問いを投げかけられる関係性を作ることかもしれません。

家族との会話が減っていくとき、何が起きているのか

澄香の物語の中で見逃せないのは、推し活への没入が深まるにつれ、家族との時間や会話が自然に減っていく描写です。澄香にとって推しのコミュニティは、家族よりも「わかり合える」場所になっていきます。共通の熱量を持つ仲間と、記号ひとつで感情を共有できる場所に比べると、ルールが明文化されていない家族との関係は、どうしても摩擦が多く感じられます。

これはIT中間管理職として働く多くの方にも、身に覚えのある感覚ではないでしょうか。残業や会議をこなしながら帰宅すると、もう言葉を選ぶ体力が残っていない。職場では的確なコミュニケーションができるのに、家では「なんとなく会話がかみ合わない」まま夜が終わる――その繰り返しの中で、家族との距離は静かに広がっていきます。

本作が示すのは、家族との関係が薄まることの寂しさではなく、その薄まりに気づかないまま過ごしてしまう恐ろしさです。澄香は壊れたのではありません。少しずつ、ゆっくりと、別の場所を「本当の居場所」と感じるようになっていっただけです。その変化は、止まって問い直さなければ見えません。

依存の構造を知ることが、自分を守る力になる

本作のもうひとつの読み方として、澄香の物語は「自己観察の教科書」でもあります。人は自分が依存しているとき、たいてい気づいていません。依存は快楽と同居しているため、問題として認識されにくいのです。

在宅勤務が増え、仕事とプライベートの境界が曖昧になった現代では、仕事への依存、スマホへの依存、SNSへの依存が静かに進行しやすい環境にあります。気づかないまま深まる依存は、ある日突然の燃え尽きや、家族との関係断絶として表面化します。

本作が示すのは、依存を断罪することではありません。「自分は今、何かから逃げているか?」という問いを、定期的に自分自身に向ける習慣を持つことの重要性です。澄香の物語は、その問いを怠った先に何が待っているかを、静かに、しかし確かに示しています。

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NR書評猫1420_朝井リョウ イン・ザ・メガチャーチ

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