「部下がやる気を持って動いているはずなのに、なぜかいつも自分だけが得をしていない気がする……」そんなモヤモヤを感じたことはありませんか?実はそれ、あなたの職場だけの問題ではありません。現代社会のあらゆる「熱意」が、巨大なシステムによって静かに収益へと変換されていく構造が、いま世界中で機能しています。
朝井リョウの最新長編小説『イン・ザ・メガチャーチ』(日経BP)は、本屋大賞2026を受賞した話題作です。一見するとアイドルオーディション番組をめぐるエンターテインメント小説のように見えますが、その核心にあるのは、「人の純粋な情熱や愛情が、プラットフォームビジネスによっていかに冷徹にデータ化され、利益へと変換されているか」という、現代資本主義の解剖図です。IT企業に勤め、日々ビジネスの最前線に立つあなたにこそ、この問いは鋭く刺さるはずです。
音楽業界で働く主人公・久保田の視点を通じて描かれるのは、ファンという「信徒」が純粋に生み出す熱量が、運営という「仕掛ける側」によって数値化され、アルゴリズムに組み込まれ、収益という果実として刈り取られていく冷酷なサイクルです。そのメカニズムは、あなたの会社のKPI管理や、データ分析を用いた顧客エンゲージメント戦略と、驚くほど近い場所にあります。
「推す人」の情熱が「儲ける人」の資産になる仕組み
本作の主人公・久保田(慶彦)は、あるアイドルオーディション番組の運営に深く関わる音楽業界の会社員です。彼の視点から描かれるのは、表舞台の華やかさとは正反対の、徹底して数字に支配された世界です。
ファンが一票を投じるたびに、データが積み上がります。どの候補者に票が集まるか、どのコンテンツが閲覧されるか、どの時間帯に熱量が上がるか――そのすべてが、運営にとっては精密な市場調査の結果として蓄積されていきます。ファンは「推し」への純粋な愛情から行動しているつもりでも、その行動の一つひとつが、プラットフォームを支える資本へと静かに変換されているのです。
現代のITビジネスにおいて、ユーザーのエンゲージメントをいかに高め、その行動データをいかに活用するかは、競争優位の核心です。本作が描くオーディション番組の構造は、まさにそのビジネスモデルの極致として機能しています。「推しを応援したい」という感情は本物でも、その感情を引き出すコンテンツ設計は、すべて計算の上に成り立っているのです。
久保田が知っている「搾取」という仕事の現実
久保田の視点が本作において特別なのは、彼が「仕掛ける側」に身を置きながら、自身の仕事に対する微かな空虚さを抱え続けている点です。彼は家族と離れて単身生活を送り、孤独を感じながらも、ファンの感情を最大化するためのシステムをひたすら磨き続けます。
作中で久保田らが取り組むのは、候補者の「物語」を巧みに設計することです。長い下積み、過去の挫折、仲間との葛藤と和解――そういったナラティブを丁寧に編集し、視聴者の感情を揺さぶるコンテンツとして配信します。視聴者は物語に感情移入し、応援という形でプラットフォームに時間と金銭を投じます。その見返りに運営が手にするのは、収益だけでなく、さらなるコンテンツ設計に使えるデータです。
このサイクルは、多くのデジタルビジネスが採用するグロースハック戦略と本質的に同じです。ユーザーの感情を可視化し、最適なタイミングで最適な刺激を与えることで、エンゲージメントを最大化する――そのプロセスを描く本作は、IT業界で働く読者にとって他人事ではない鋭さを持っています。
ファンのデータが「歯車」へと変わる瞬間
本書の恐ろしさは、搾取が「悪意」によって行われているわけではない点にあります。久保田も、他の運営スタッフも、候補者たちも、そしてファンたちも、それぞれに誠実に、自分の信じることに従って動いています。
しかし、そのすべての誠実な行動が組み合わさることで、一人ひとりの情熱がシステムという巨大な歯車の一部として消費されていきます。ファンが投じる票はデータポイントに、ファンが書き込むSNSの感想は無償のマーケティング素材に、ファンが仲間を誘う行動は無給の布教活動として機能します。
これをIT企業の中間管理職として読むとき、別の問いも浮かびます。自分の部下たちの「やりがい」や「熱量」は、適切に評価されているか、あるいは組織の生産性という名の歯車として消費されてはいないか。人の情熱を収益に変えるプラットフォームの論理は、職場のマネジメントにも忍び込んでいないかと、本作は静かに問いかけてきます。
「信仰」に変わったとき、搾取はさらに深くなる
本作のタイトル「メガチャーチ」とは、数千人規模の信徒を抱える巨大教会のことを指します。著者の朝井リョウはこの言葉を、アイドルファンダムという「現代の信仰共同体」の比喩として用いています。
信仰の場において、信徒はお布施を「強要される」のではなく、自ら「捧げたい」と感じます。その自発性こそが、搾取を搾取と気づかせない最大の装置です。ファンにとって課金はコストではなく、推しへの愛の表現です。運営にとってその課金は、感情をマネタイズした収益です。双方の認識のズレの中に、プラットフォーム経済の秘密があります。
あなたの職場でも、部下が「やりたいから」やっている仕事が、実は組織の都合で最大限に利用されている、という状況はないでしょうか。人の内発的な動機を組織目標に接続するマネジメントは有効な一方で、その境界線がどこにあるかを見極めることは、信頼される上司になるための重要な問いです。
「仕掛ける側」が失うものと、得るものの間で
久保田のもうひとつの重要な側面は、彼自身が「熱狂できない人間」であるという逆説です。他者の熱量を設計し、増幅させる仕事をしながら、自分は何にも本気で熱狂できない――そのアイロニーが、彼を本作の最も哀愁ある人物にしています。
ITビジネスの最前線で数値管理や戦略立案に携わるほど、人の行動をデータとして捉える癖が身につきます。それは確かに武器になりますが、同時に「純粋に何かを信じる力」を徐々に薄めていく危険もはらんでいます。プレゼンで相手を動かしたい、部下に本気で動いてほしい――そう願うなら、相手の感情を「操作すべきデータ」としてではなく、「共鳴すべき意志」として向き合うことの重要性を、久保田の孤独は教えてくれます。
あなたはシステムを設計する側か、それとも歯車になっている側か
本作を読み終えたとき、多くの読者は自分自身の立場を問い直すことになるでしょう。日々のビジネスの中で、あなたは誰かの熱量を収益へと変換するシステムを設計していますか。あるいは、気づかないまま、誰かのシステムの中で歯車として動かされていますか。
その問いに正解はありません。ただ、本作が提供するのは、その問いを持ち続けることの重要性です。市場の論理が人の感情を飲み込む速度が上がる時代に、仕掛ける側と仕掛けられる側の境界は限りなく曖昧になっています。
部下との信頼関係を築きたいなら、プレゼンで相手の心を動かしたいなら、家族との会話を本物にしたいなら――その根っこにあるのは、「人の感情をシステムとして見ない」という選択かもしれません。本作はその問いを、エンターテインメントの外皮に包んで、読者の手元に静かに届けます。

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