「自分はあんな上司にはならない」と思っていたのに、気づいたら同じことをしていた――そんな経験はありませんか。かつて自分が嫌だと感じた上司の言い方、詰め方、無視の仕方。意識していないときほど、それがそのまま出てしまう。人は受けてきたものを、知らずしらず次の世代に渡してしまいます。
瀬尾まいこの小説『ありか』の主人公・美空は、実母との関係に深いしがらみを抱えています。母から受けてきたものの重さを感じながら、それでも娘・ひかりには無条件の愛を注ごうと静かに奮闘する。世代間で連鎖しがちな負のパターンを、自分の代で断ち切ろうとするその姿は、力強い闘いとして読む者の胸に響きます。この物語は、職場でも家庭でも、連鎖を断ち切ることを選べる人間になるためのヒントを静かに示しています。
「親にされたこと」を、部下にもしていないか
人間のコミュニケーションには、受け継がれやすいパターンがあります。幼い頃から親に見てきた話し方、叱られ方、褒められ方――それが無意識のうちに自分の中に刷り込まれ、似た立場に立ったとき自然に出てきます。
職場でも同じことが起きます。自分がかつて上司にされてきたことが、今の自分の管理スタイルに滲み出ます。「うちの部長はいつも感情的に叱責してきた、自分はそうはしない」と思っていても、追い詰められたときや余裕のないときに、似たトーンが出てしまう。意識していないからこそ、連鎖は続きます。
美空が実母との関係に苦しむのも、母のある種のパターンが自分の中に入り込んでいると感じるからです。そしてそれをひかりには渡したくないという思いが、彼女を動かします。「知らずに繰り返してしまう」ことへの自覚から、連鎖を断ち切る意志が生まれます。
美空の静かで力強い闘いが教えてくれること
美空の奮闘が「静かで力強い」と表現されるのは、派手な宣言や劇的な決別があるわけではないからです。実母との関係を清算したわけでも、過去を完全に克服したわけでもない。ただ、ひかりに向き合う今この瞬間の選択を、一つひとつ丁寧に積み重ねていく。
それが連鎖を断ち切ることの本当の姿です。「もうあのやり方はしない」という一回の決意ではなく、疲れていても、追い詰められていても、「今日の自分は昨日の繰り返しにならない」と選び続けることの積み重ね。
著者・瀬尾まいこが「幸せ」というテーマに真正面から向き合った作品だと語るとおり、本書は大きな変革よりも日々の小さな選択の尊さを描いています。美空の静かな闘いは、読む人に「自分にも今日から選べることがある」という感覚を与えます。
職場に連鎖する負のマネジメントを断ち切る
職場の文化やマネジメントスタイルも、世代間の連鎖として伝わります。「この会社はこういうもの」「自分もそうやって育てられた」という慣習が、問題だとわかっていても変わらない理由の一つです。
昇進して初めて管理職になった今が、その連鎖を断ち切るチャンスです。自分が経験してきた職場のコミュニケーションパターンの中で、部下に渡したくないものは何かを一度整理してみてください。感情的な叱責、見えないところでの評価、相談を遮る聞き方――それらを「自分はしない」と決めることは、次の世代への贈り物になります。
もちろん、逆のことも言えます。自分が上司から受けてきたものの中に、今になって価値がわかるものもあるはずです。「あのとき厳しく言われたことが、今の自分の基準になっている」――そういうものは意識的に渡していく。何を断ち切り、何を受け継ぐかを、自分で選べることが管理職の持つ力です。
「前例だから」を疑うことが、組織を変える
プレゼンや提案の場で「うちではずっとこのやり方でやってきた」という壁にぶつかることがあります。前例を変えることへの抵抗は、組織の中でも世代間の連鎖として機能します。「以前の上司もそうしていたから」「前任者のやり方を踏襲するのが安全だから」――その思考が、改善の機会を何度も流してしまいます。
美空が実母からのしがらみに向き合いながら「ひかりには別のものを渡したい」と選ぶように、組織の中でも「前例だからそのまま続ける」と「自分の代で変える」の間には意志の選択があります。
提案をするとき、「なぜこれまでこのやり方だったのか」を調べた上で「それでも変える必要がある」と示せると、単なる変革案ではなく「連鎖を断ち切る提案」として受け取られます。過去を否定せず、その上で次を選ぶ――その姿勢が、聴く人の心を動かします。
子どもに繰り返さないために、今日選べること
家庭でのコミュニケーションにも、連鎖のパターンは存在します。自分の親が感情的になるときの言い方、褒めることが少なかった習慣、問題を直接話さない空気――それらを意識せずに次の世代に渡してしまうことがあります。
「子どもとの接し方がわからない」という悩みの根には、しばしばこの連鎖があります。どう接してよいかわからないのは、自分が受けてきたものしか手元にないからです。美空がひかりに無条件の愛を注ごうと奮闘するのは、そのパターンを知っているからこそです。
今日、子どもに何か言いたいとき、一拍置いて「これは自分が親にされてきたからやっていることか、それとも今この子に本当に必要なことか」と問う習慣が、連鎖を少しずつ変えていきます。特別な親になる必要はありません。ただ、繰り返すかどうかを意識して選べる親であることが、子どもの未来を変えます。
連鎖を断ち切る人が、次の世代を変える
『ありか』が描く美空の静かな闘いには、個人の物語を超えた意味があります。一人が連鎖を断ち切ることは、その先にいる人たちへの贈り物になります。美空がひかりに別のものを渡そうとするように、あなたが職場の負のパターンを断ち切ることは、今の部下だけでなく、その部下がいつか管理職になったときに影響します。
連鎖を断ち切るのは、劇的な決意や特別な力が必要なことではありません。今日の疲れた夜に、子どもへの声かけを少し変える。今日の会議で、部下への言い方を一度立ち止まって選ぶ。今日の提案で、前例を踏むだけでなく自分の判断を加える――その積み重ねが、静かで力強い変化を生みます。
連鎖を断ち切ることを選んだ人の日常は、それ自体が次の世代への贈り物です。

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