デジタルツールを使いこなしているはずなのに、なぜか部下に伝わらない。データを揃えてプレゼンに臨んでいるのに、なぜか会議の空気が動かない。スマートフォンで毎日妻や子どもに連絡しているのに、なぜか家族の距離を感じる……。そんな違和感を抱いたことはありませんか? もしかしたら、問題は「道具の使い方」ではなく、「道具に頼りすぎること」によって失われていく、あなた自身の感覚にあるのかもしれません。
プロ野球・阪神タイガースの外野手、近本光司選手が著した『僕は白と黒の間で生きている。』は、スポーツの枠を超えた一冊です。トップアスリートとして最先端のデータ分析やトラッキング技術と向き合いながらも、自分の身体感覚を手放さないための格闘を静かに、しかし鋭く綴っています。本書を読み進めるうち、その問いかけは野球選手だけのものではなく、日々デジタルの海に浸かりながら働く私たちビジネスパーソンへの、鋭利な警告として響いてくるのです。
部下との信頼関係、通らないプレゼン、かみ合わない家族との会話――これらすべての根底に、実は「感覚を道具に委ねすぎた自分」がいないでしょうか。本書が問いかける「スパイクへの依存」という問題を出発点に、私たちがテクノロジーと人間本来の感覚のバランスをどう取り戻すかを、一緒に考えてみましょう。
道具の便利さと引き換えに失うもの
近本選手が本書で投げかける問いは、意外にもシンプルなものから始まります。スパイクの強力なグリップ力に頼りすぎることで、足裏が本来持っているはずの繊細な感覚が失われていくのではないか、という問いです。
スパイクは確かに走力を高めます。しかし、地面の微妙な凹凸、芝の質感、足場の柔らかさ――こういった情報を直接受け取っていた足裏の感覚は、グリップの強い靴底に包まれることで、いつの間にか眠り始めるのではないか。近本選手はそう問い直すのです。
これはそのまま、現代のビジネスパーソンの日常に重なります。表計算ソフトが数字を自動集計してくれるとき、あなたはその数字の「重さ」を感じているでしょうか。AIが文章を生成してくれるとき、その言葉があなた自身の言葉として部下の心に届いているでしょうか。道具の便利さには代えがたい価値がありますが、その恩恵を享受するほど、私たちは「自分で感じ取る力」を少しずつ手放している可能性があります。
道具を使いこなすとは、道具に使われないことです。近本選手の問いはそう教えてくれます。
AI時代に問われる「自分の感覚」の居場所
仕事の現場では今、データがあらゆる判断の根拠として使われています。部下の評価も、プレゼン資料の構成も、会議の進め方も、最適解を導く手助けをしてくれるツールが揃っています。それ自体は間違いではありません。
しかし近本選手は、データや最適解が提示されたとしても、それに従属するのではなく、「自らの感覚とすり合わせるグレーゾーンの調整作業」こそが人間の本質的な価値だと繰り返します。これを読んだとき、部下の表情を読む力、提案の場の空気を察する力、家族の沈黙に込められた意味に気づく力――そういった、数値化できないけれど確かに存在する「感覚」の重要性が、あらためて浮かび上がります。
データが示す「正解」は、あくまで平均値の最適解です。目の前の部下がその平均と同じ人間とは限りませんし、今日の会議室の空気が過去のデータと同じとも限らない。だからこそ、ツールが示す答えに乗っかるだけでなく、自分の五感と経験を重ねて「この場での正解」を探り続ける姿勢が求められます。
依存が「鈍らせる」という逆説
道具への依存が感覚を鈍らせるというのは、逆説に見えますが、実は日常に溢れている現象です。
電卓を常に使い続けると、暗算の感覚が薄れます。カーナビに頼り続けると、方向感覚が消えていきます。そして、チャットツールでのやり取りが増えるほど、対面で人の気持ちを読み取る繊細なアンテナが錆びついていくかもしれません。近本選手が指摘したスパイクの問題は、まさにこの構造です。
管理職の方々が「部下からの信頼が得られていない」と感じる場面の多くは、伝えた言葉の内容より、伝え方の「温度」が問われています。どれほどロジカルな説明でも、相手に届く熱量がなければ、心は動きません。その熱量は、ツールではなく、あなた自身の身体感覚から生まれるものです。
一度、スマートフォンを閉じて、直接話しかけてみる。その小さな選択が、実は大きな信頼の糸口になることがあります。
「自分の感覚」を取り戻すための小さな実践
では、失われつつある感覚を取り戻すために、何ができるでしょうか。近本選手の問いかけは、実践の方向性も示唆しています。
まず、意識的に「ツールを手放す時間」を作ることです。会議の冒頭の5分間、資料を閉じて参加者の表情だけを見る。プレゼンの練習を、スライドなしで声だけで一度やってみる。部下と話すとき、メモを取らずに相手の言葉をそのまま受け取る。こうした小さな「素手の時間」が、感覚のリハビリになります。
次に、自分の「違和感センサー」を信じることです。データが「大丈夫」と言っていても、何か引っかかる――そのざわめきを、ツールの判断で上書きしない習慣を持つことが大切です。近本選手が「グレーゾーンの調整作業」と呼んだものは、まさにこの違和感を手掛かりにして、自分なりの答えを探す作業に他なりません。
そして、家族との時間にこそ、この感覚は鍛えられます。子どもの「別に」という一言に込められた感情を読み取ること、妻の沈黙の意味を察すること――それは、部下の気持ちを読む力と、実は同じ筋肉を使っています。
テクノロジーと「身体知」を共存させる知恵
誤解しないでほしいのですが、本書はテクノロジーを否定しているのではありません。近本選手自身、最新のトラッキングデータをしっかりと活用しています。
近本選手が問うているのは、「データを使う側でいられるか、データに使われていないか」という主体性の問題です。道具は使いこなすものであり、身体感覚は常にその土台にある――この構造を意識しているかどうかが、トップアスリートと一般選手を分け、優れたリーダーとそうでないリーダーを分けているのかもしれません。
プレゼンで使うグラフは、あなたが「こう感じた」という体験を視覚化したものであるべきです。部下への指示は、マニュアルの引き写しではなく、あなたが肌で感じたチームの状態に基づいているべきです。テクノロジーと身体知が共存するとき、道具はただの補助輪を超えて、あなたの力を本当の意味で倍増させてくれます。
白と黒の間で生き続けることの強さ
本書のタイトル「僕は白と黒の間で生きている。」は、データと感覚、正解と不正解、組織の論理と個人の信念――その間でバランスを取り続けることへの、静かな覚悟を表しています。
どちらかに振り切れれば、楽になるかもしれません。データだけに従えば責任は分散されます。感覚だけに頼れば自由に見えます。しかし近本選手は、その「間」にこそ人間としての知性と誠実さがあると言い切ります。
管理職として部下と向き合うとき、家族と向き合うとき、私たちも常にこの「間」に立っています。完璧なデータも、完璧な言葉も存在しない。それでも、自分の感覚を手放さず、道具に使われることなく、グレーゾーンで考え続ける――その姿勢こそが、本当の意味で人を動かす力になるのではないでしょうか。
近本選手が野球を通じて掴んだメタ認知の技術は、あなたの職場や家庭のあらゆる場面で使える、普遍的な知恵として輝いています。道具への依存に気づき、自分の感覚を取り戻す旅。その第一歩は、意外と身近なところから始められます。

コメント