「銃より強い言葉がある」——マルコ・バルツァーノ/この村にとどまる/静かなる抵抗の哲学

部下と話しても、何かがうまく伝わらない。プレゼンを準備しても、会議の場でうまく存在感を出せない。そんな焦りを感じていませんか。管理職になってから、むしろ「自分の言葉が届かなくなった」と感じる方は少なくありません。声を荒げても、肩書きを振りかざしても、人の心は動かない。ではいったい何が、人を動かすのでしょうか。

家庭でも似たような壁にぶつかることがあります。妻との会話がかみ合わない、子どもに何を言っても響かない。「言葉にしているのに、なぜ伝わらないのか」という疑問が、じわじわと自分を蝕んでいく。言葉は発しているはずなのに、それが力を持たない。その違和感の正体は何なのでしょう。

イタリアの小説家マルコ・バルツァーノが書いた『この村にとどまる』は、ファシスト政権によって母語を奪われた女性が、地下の暗がりで子どもたちに言葉を教え続けた物語です。銃でも暴力でもなく、「言葉を守ること」が最も強靭な抵抗だった――その真実が、あなたの職場と家庭に思わぬ光を当ててくれます。

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言語を奪われた村で、女性が選んだ闘い方

20世紀前半のイタリア北部、アルト・アディジェ地方。ドイツ語を母語とするチロル人の村々に、ムッソリーニのファシスト政権が強硬な「イタリア化政策」を押しつけました。学校でのドイツ語使用は禁止され、公共機関の掲示板からも母語は消え、やがては墓石に刻まれた死者の名前すら、イタリア語風に書き換えられていきました。

主人公のトリーナは、その村で教師になることを夢見て育った女性です。しかし夢は、権力の一声でまるごと奪われました。母語で教えることができない。自分が長年学んできた言語が、法律によって「存在しないもの」にされていく。これほど深い暴力が、他にあるでしょうか。

ここで注目したいのは、トリーナが選んだ応戦の方法です。彼女は武器を手に取りませんでした。代わりに彼女が向かったのは、地下の暗がりでした。

「カタコンベ」――闇の中の教室が示すもの

発覚すれば流刑、あるいは死を覚悟しなければならない状況の中で、トリーナは地下組織が運営する非合法の学校――通称「カタコンベ」に身を投じます。薄暗い地下室で、子どもたちにドイツ語の読み書きを教え続けたのです。

なぜそこまでして、言葉を守ろうとしたのか。言語は単なるコミュニケーションの道具ではないからです。その共同体の記憶、価値観、世界に対する見方――それらすべてが言語によって形作られています。言葉を奪うことは、その人の内側にある世界をまるごと消し去ることを意味します。

トリーナの親友が実際に流刑に処されます。それでも彼女は教え続けました。強制に対して、静かに、しかし確実に、「次の世代へ言葉をつなぐ」という行為で返し続けたのです。作者バルツァーノはこの場面を、英雄的な気高さではなく、日常の中のひとつの選択として淡々と描いています。だからこそ、深く胸に刺さります。

強さは声の大きさではなく、何を守るかにある

管理職として部下と接するとき、「権限」や「命令」を使えば人は動くように見えます。しかし実際には、強制によって動いた部下は、見えないところで静かに離れていきます。

トリーナのカタコンベが教えてくれることがあります。

人が本当に動くのは、守りたいものがあるとき。

彼女は命令されたわけではありません。むしろ命令に逆らって、自分が大切にするものを守るために動いた。その純粋な動機が、村の人々の心を動かし続けました。

部下が自律的に動かないと感じるとき、問い直してみてください。あなたはその部下に、「守りたいと思えるもの」を渡せているでしょうか。共有できる価値観、チームとしての誇り、自分が貢献しているという実感――それらがあって初めて、人は自ら考えて動きます。

部下の「言葉」を奪っていないか

もうひとつ、管理職として耳が痛い問いがあります。あなたは職場で、部下の「言葉」を奪っていないでしょうか。

会議での発言をさえぎる、若手のアイデアを「前例がない」と一蹴する、報告書のフォーマットを細かく縛りすぎる――こうした行為はすべて、部下の言語空間を狭めることです。ファシスト政権がドイツ語を禁じたように、組織の中にも「言えない言葉」「通らない声」を作り出してしまう構造があります。

部下が黙り始めたとき、それは服従ではなく喪失のサインです。
彼らは単に「言葉を使わなくなった」のではなく、「この場では言葉が通じない」と学んでしまったのかもしれません。その沈黙こそが、信頼関係が静かに失われているサインです。

家庭でも起きている「言語の断絶」

職場だけではありません。家庭でも同様のことが起きえます。

妻が話しかけても、「今日は疲れた」「そういう話は今じゃなくていい」とシャットアウトしていませんか。子どもが何か言いかけたとき、スマートフォンから目を離さずに聞いていませんか。言葉はキャッチボールです。相手が投げたボールを受け取らないでいると、やがて相手は投げることをやめます。

トリーナは、生き別れた娘マリカに向けて、届かないとわかっていても手紙を書き続けました。それは愛情の継続であると同時に、「あなたの言葉を待っている」というメッセージの発信でもありました。家族に対して「話しかけやすい場」を作ることは、日々の小さな積み重ねの中にあります。

静かな継承こそが、最も深く伝わる

トリーナが地下の教室でやり続けたことを振り返れば、それは劇的でも派手でもありませんでした。ただ、暗い部屋の中で、子どもたちと向き合い、言葉を手渡し続けた。その積み重ねが、権力の暴力よりも長く、深く残りました。

静かに、しかし確実に伝え続けること。

それが、最も強い言葉の使い方です。

表面的なテクニックではなく、何のために言葉を使うのかという核を持つこと。バルツァーノがトリーナを通じて示した、言語と抵抗の物語は、現代の職場や家庭にいる私たちに、そのことをまっすぐ問いかけています。

ぜひ手に取り、カタコンベの暗がりで授業をするトリーナの姿を、自分の仕事や家庭と重ねながら読んでみてください。

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NR書評猫1302 マルコ・バルツァーノ この村にとどまる

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