「あなたも誰かを消費している」——ジョセフ・ノックス/トゥルー・クライム・ストーリー/他者への眼差しと倫理

「あいつはどうせこういう人間だ」――そう決めつけて、それ以上考えるのをやめたことはありませんか。部下のひとりに対して、「指示を出しても動けないタイプ」というレッテルを貼った瞬間、あなたはその人を一人の人間ではなく「役割の記号」として扱い始めています。プレゼンの場でも、聴衆を「説得すべき相手」として一方的に消費していないでしょうか。家庭でも、妻や子どもの行動を「またか」と先読みして、言葉の奥にある本音を聞こうとしていないかもしれません。

ジョセフ・ノックスの『トゥルー・クライム・ストーリー』は、女子大生の失踪事件を扱うミステリー小説でありながら、その裏に痛烈な問いかけを秘めています。失踪したゾーイという女性に対し、周囲の人々が次々と勝手なレッテルを貼っていく過程――「才能ある双子の片割れ」「奔放で計算高い女」「家族を振り回した問題児」――これは、他者の悲劇をエンターテインメントとして消費するメディアと社会への告発です。そして、その告発の矛先は読者自身にも向かっています。

本記事では、本書を貫く「メディアと消費者の倫理に対する根源的な社会批評」という視点から、この作品が私たちの日常にどんな問いを投げかけているのかを読み解きます。部下との関係、プレゼンの伝え方、家族とのコミュニケーション――「誰かを便利なラベルで括る」という習慣を見直すきっかけとして、ぜひ読み進めてください。

Amazon.co.jp: トゥルー・クライム・ストーリー (新潮文庫 ノ 1-4) : ジョセフ・ノックス, 池田 真紀子: 本
Amazon.co.jp: トゥルー・クライム・ストーリー (新潮文庫 ノ 1-4) : ジョセフ・ノックス, 池田 真紀子: 本

悲劇が「消費される」時代に生きている私たち

ポッドキャストを聴きながら通勤する。Netflixで未解決事件のドキュメンタリーを観る。SNSで凄惨な事件のスレッドを追う。こうした行動は、今や日常的な娯楽の一部です。他者の不幸や犯罪を「コンテンツ」として享受する――このジャンルは「トゥルー・クライム」と呼ばれ、現代のエンターテインメント産業の中でも急速に成長しています。

本書はその構造を、小説という形式を用いて解剖します。作家のエヴリン・ミッチェルは、乳がんの闘病からの復帰作として、7年前の未解決失踪事件を題材にしたノンフィクションを書こうとします。しかしエヴリンの取材が深まるにつれ、彼女が「被害者の家族の痛みに土足で踏み込んでいる」という事実が浮かび上がります。ゾーイの母親の号泣を前にしても、エヴリンはレコーダーを止めません。キャリア挽回という自分の欲望が、遺族の悲しみよりも優先されているのです。

これは、読者自身への冷酷な鏡です。本書はその事実を直視させます。

私たちがトゥルー・クライムを楽しむとき、私たちもまた誰かの悲劇から娯楽を得ています。本書はその事実を、読者に静かに突きつけます。

「才能ある双子の片割れ」という暴力

失踪したゾーイ・ノーランは、インタビューに答える関係者それぞれの口から、まるで別人のように語られます。姉妹のキムは「私の影に隠れたかった子」と語り、恋人のアンドリューは「自由奔放で誰をも魅了する女」と描写し、友人たちは「孤独を隠していた計算高い人」と証言します。

誰もがゾーイを「知っていた」と言いながら、誰もゾーイそのものを見ていない。語られるのは、語り手自身のフィルターを通した「都合のいいゾーイ」です。

これは、組織の中で日常的に起きていることと重なります。新しく配属された部下を、最初の数週間の印象だけで「このタイプ」と分類してしまう。一度「使いづらい」と感じた同僚を、以後ずっとその目で見続ける。人間はラベルを貼ることで認知の負荷を減らそうとします。しかしそのラベルが、相手の可能性を封じ込める「暴力」になるとしたら、どうでしょうか。

のぞき見趣味と自己正当化のメカニズム

本書が鋭いのは、エヴリンを単純な「悪役」として描いていない点です。彼女は心から被害者の真実を明らかにしたいと思っています。遺族への敬意も、本人の中には確かにあります。それでも、取材を進める動機の根底には「ベストセラーを出したい」「作家として復活したい」という欲望があり、その欲望が無意識のうちに行動を歪めています。

自己正当化と善意は、同時に存在できるのです。

これはプレゼンの場面でも起こります。「聴衆のためになる提案をしたい」という真摯な動機と、「この提案を通して自分の評価を上げたい」という欲望が、同じ一枚の資料の中に共存しています。どちらか片方だけが「本当の動機」なわけではありません。しかし、自分の欲望が聴衆へのメッセージを歪めていないかを自問できるかどうかで、相手への伝わり方は大きく変わります。

誰が彼女の物語を語る権利を持っているのか

本書が突きつける、最も根本的な問いがあります。「誰が若い女性の物語を語る権利を持っているのか」という問いです。

ゾーイは自分の言葉を残せないまま消えました。代わりに語るのは、双子の姉、遺族、友人たち、そして一介の作家であるエヴリン――誰一人、ゾーイ本人ではありません。語り手のいない人間の物語は、語り手の都合によっていくらでも書き換えられます。

職場でも同じ構造が起きています。あなたが会議で「あの部下はこういう考え方をする人間で……」と評価するとき、その部下は自分の言葉で反論できない場所にいます。人事評価の場でも、昇進の選考でも、当事者の声が届かない場所で「その人の物語」が書かれます。語られる側の人間が、語る側の人間の意図によって形作られていく――この構造の非対称さを、本書は徹底的に可視化します。

家族に貼ったラベルを、今すぐ剥がしてみる

「うちの妻はいつもこうだ」「息子はどうせ言っても聞かない」――家庭の中でも、私たちは家族に対して固定したラベルを貼りがちです。在宅勤務が増えたことで家族との接触時間は増えましたが、その時間が深い理解につながるかどうかは別の話です。接触時間が増えれば増えるほど、却って「予測可能な相手」として扱うようになることもあります。

本書でゾーイの両親は、娘が失踪するまで、彼女の本当の苦しさに気づいていませんでした。毎日一緒にいたはずなのに、娘は「分かっているつもり」の親の視線の外で、誰にも打ち明けられない痛みを抱えていたのです。

見えていると思っていることが、最も危険な思い込みです。

ラベルを剥がすとは、相手をゼロから見直すということです。今日もう一度、家族に「最近どうだった?」と聞いてみてください。答えが予想と違ったなら、それはあなたがまだ相手を見続けている証拠です。

告発は、読者に向けられている

本書のもっとも巧妙な仕掛けは、告発の矛先が外ではなく内に向いていることです。メディアを批判しているようで、実はそのメディアのコンテンツを消費している読者自身を問題の当事者として配置する。エヴリンの「のぞき見」を批判しながら、私たちはエヴリンと同じ好奇心でこの本を読んでいます。

この二重の構造が、本書を読み終えた後にじわじわと効いてきます。職場での評価の仕方、プレゼンでの情報の切り取り方、家族への先入観――自分が日常的に行っている「消費」の形が、小説を鏡にして浮かび上がってくるのです。

他者を一つのラベルに収めることは、認知の節約であると同時に、その人への敬意の放棄でもあります。本書を読んだ後、あなたは少しだけ、目の前の人間をもう少し長く、もう少し深く見ようとするはずです。それが、この小説が残す最も誠実な贈り物だと思います。

Amazon.co.jp: トゥルー・クライム・ストーリー (新潮文庫 ノ 1-4) : ジョセフ・ノックス, 池田 真紀子: 本
Amazon.co.jp: トゥルー・クライム・ストーリー (新潮文庫 ノ 1-4) : ジョセフ・ノックス, 池田 真紀子: 本

NR書評猫1307 ジョセフ・ノックス トゥルー・クライム・ストーリー

注意

・Amazonのアソシエイトとして、双子のドラ猫は適格販売により収入を得ています。
・この記事は情報提供を目的としたものであり、医学的・法律的なアドバイス等の専門情報を含みません。何らかの懸念がある場合は、必ず医師、弁護士等の専門家に相談してください。
・記事の内容は最新の情報に基づいていますが、専門的な知見は常に更新されているため、最新の情報を確認することをお勧めします。
・記事内に個人名が含まれる場合、基本的に、その個人名は仮の名前であり実名ではありません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました