武田信玄と労咳(ろうがい)の真実 ~戦国最強武将を苦しめた病~

歴史


戦国時代、「風林火山」の旗印で知られる武田信玄。「甲斐の虎」とも称された彼は、織田信長すら恐れた名将でした。しかし、そんな最強の武将も一つの病に苦しめられていたことをご存知でしょうか。それが「労咳(ろうがい)」と呼ばれる病です。今回は、武田信玄と労咳の関係について詳しく解説していきます。

労咳(ろうがい)とは何か?現代で言う「結核」の正体

労咳(ろうがい)とは、現在でいう肺結核のことです。結核菌による肺の感染症で、主に空気感染をします。ヨーロッパでは「白いペスト」という名前で恐れられた恐ろしい病でした。

平安時代の『枕草子』や『源氏物語』にもその描写が見られるほど古くからある病気ですが、治療薬は20世紀中頃まで発見されませんでした。つまり、戦国時代には有効な治療法がなく、一度かかると完治が難しい致命的な病だったのです。

「労」という字は「疲労困憊せるものをいう」「慢性症にして身体の衰弱を招く病症に用う」という意味があります。日本では近世以降、「疲労によって起こる咳を伴う衰弱」という認識で「労咳」と呼ばれるようになりました。

武田信玄は若いころから労咳を患っていた?

武田信玄は、若いころから持病の「労咳(肺結核)」で苦しんでいたという説があります。信玄が「温泉好き」として知られ、山梨県各地に「信玄の隠し湯」と呼ばれる温泉地が残っているのも、この病を癒すためだったのかもしれません。

しかし皮肉なことに、肺結核のような進行性の病気に温泉療養は逆効果とも言われています。身体を治そうとして温泉に通っていたのに、それがかえって病状を悪化させていた可能性もあるのです。

信玄の最期と死因の謎

武田信玄は1573年(元亀4年)4月12日、信濃国駒場(現在の長野県阿智村)で53歳の生涯を閉じました。死の直前、信玄は「自分の死を3年間は隠せ」と遺言しました。これは信玄の死を知った周囲の大名からの侵略を防ぐためでした。

信玄の死因については諸説あり、確定されていません。主な説は以下の通りです:

1. 労咳(肺結核)説

侍医御宿監物の書状(戦国遺文2638号)に記された持病の労咳(肺結核)が原因とする説です。江戸時代の山鹿素行も『武家事記』で信玄の死因を結核としています。

2. 胃がん・食道がん説

『甲陽軍鑑』によれば、信玄の侍医である板坂法印が「膈を患っていた」と述べています。「膈」は食べ物が通らなくなる病気で、胃がんや食道がんに相当します。

3. その他の説

日本住血吸虫症(寄生虫による病気)、肝臓病、鉄砲で撃たれたという説もあります。特に鉄砲説は江戸時代の徳川家による宣伝という側面もあり、信憑性は低いとされています。

『甲陽軍鑑』には「工夫積もって心くたびれ候」と主治医が診断したという記述もあり、精神的なストレスが病気の原因になったという見方もあります。

西上作戦と信玄の病状悪化

信玄が本格的に病状を悪化させたのは、織田信長に対抗する西上作戦の途中でした。元亀3年(1572年)10月、信玄は西上作戦を開始し、徳川家康の領土に侵攻します。三方ヶ原の戦いで家康に大勝した後、1573年2月には野田城も攻略しました。

このまま進軍すれば織田信長を撃破できる可能性もありましたが、野田城攻略後に信玄の病状が急激に悪化。一時は回復の兆しを見せたものの、再び悪化して最期を迎えることになりました。

信玄の死が変えた戦国の歴史

信玄の死は戦国の歴史を大きく変えました。信玄の西上作戦に恐れおののいていた織田信長と徳川家康は窮地を脱しました。信玄が生きていれば織田信長を倒せていた可能性もあり、その場合、戦国の歴史は大きく変わっていたかもしれません。

信玄の死から9年後、息子の武田勝頼の時代に武田家は滅亡します。もし信玄がもう少し長生きしていれば、武田家の運命も変わっていたでしょう。

戦国時代に猛威を振るった労咳

労咳(結核)は戦国時代だけでなく、明治時代に至るまで日本で猛威を振るった病です。特に明治以降は産業の発展とともに「国民病」と呼ばれるほど大流行しました。

高杉晋作や樋口一葉、沖田総司など、多くの歴史上の人物も労咳で若くして命を落としています。現代では治療法が確立され、怖い病気ではなくなりましたが、かつては「死の病」として恐れられていました。

まとめ:最強武将も敗れた「病」という敵

「甲斐の虎」武田信玄は、多くの武将を打ち破りましたが、最後は「労咳」という目に見えない敵に敗れました。いくら戦略に長け、強靭な軍団を率いても、病には勝てなかったのです。

信玄は死の直前、「大抵 還他肌骨好 不塗紅粉 自風流」(大ていは地に任せて肌骨好し 紅粉を塗らず自ら風流)という辞世の句を残したといわれています。これは「世の中の流れに身を任せるべきだ。見せかけで生きてはいけない。自分を飾らず生きることがすばらしい」という意味です。

病と闘いながらも最後まで気高く生きた武田信玄。その生き様は現代を生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれるのではないでしょうか。


参考サイト:
コトバンク 「労咳」 https://kotobank.jp/word/労咳-662499
戦国バナシ 「武田信玄の死因はなんだった?歴史に刻んだ戦いと名言も詳しく解説」 https://sengokubanashi.net/person/takeda-shingen-death/
レキシル 「武田信玄が患った病気とは何か?死因はガンや結核ではなく寄生虫」 https://rekishiru.site/archives/6661

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